感染症の正体
感染症はありとあらゆる分野多岐に渡って存在します。肺炎(呼吸器科)、膀胱炎(泌尿器科)、髄膜炎(脳神経科)、感染性心内膜炎(循環器科)、骨髄炎 (整形外科)、角膜炎(眼科)、考えただけでほぼ全ての診療科を網羅できるくらいです。なかには「それって感染症だったの?」と思うものさえあるでしょ う。ひとつの系統だったものとして理解できるよう、順次解説していきます。
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感染症の正体
感染症はありとあらゆる分野多岐に渡って存在します。肺炎(呼吸器科)、膀胱炎(泌尿器科)、髄膜炎(脳神経科)、感染性心内膜炎(循環器科)、骨髄炎 (整形外科)、角膜炎(眼科)、考えただけでほぼ全ての診療科を網羅できるくらいです。なかには「それって感染症だったの?」と思うものさえあるでしょ う。ひとつの系統だったものとして理解できるよう、順次解説していきます。
2011年5月23日月曜日
2. 診断・治療・予防
前回は感染症診断の原則である培養同定検査について、きっちりと感染部位から採取して評価する必要があることをご紹介しました。感染症を起こしている部位から検体(例えば喀痰)を採ると、通常は大量の細菌がいるため(少なく見積もっても1mLあたり1万匹以上)、前回お話したように第一に行う検査は「分離培養」です。ただ、検体によっては菌量が少ない場合があるため、まず「増菌」を行う必要があります。今回はその増菌培養について見ていきたいと思います。
増菌培養を行う検体の代表格は、「血液培養(写真に示した一連の流れ)」です。私たち人間の血液中は皮膚や腸管と違い、生理的な状態では一匹も細菌がいません。血液中に細菌が入り込むのは異常事態で、これを「菌血症」と呼びます。ただ、この場合の菌量は極めて少なく、血液1mLあたり1匹(正確にはCFU: colony forming unit という単位を使います)いるかいないか、という程度です(*1)。ヒトの血液量をおよそ5L程度とすると、総量で1000 CFU程度になるでしょうか。例えば熱を出すとか、病気が成立するには充分な量ですが、これを顕微鏡で見つけたり分離培養するには無理があります。ですから、できるだけ沢山の血液(最大で60mL)を採取して増菌培養するわけです(*2)。1 CFUでもいれば、通常の細菌は1時間で8倍、2時間で64倍、3時間で512倍、、、という具合に倍々で増えていきます。1~3日ほど培養すれば、顕微鏡観察や分離培養できるだけの量になります。写真の左側にあるように、細菌が増殖して二酸化炭素を産生してくると、培養ボトルの底面の色調が変化しますので、これを目安に「培養陽性」と判定します(実際には誤って色調変化することがあるかもしれないので、写真左の様に顕微鏡で確認して最終判定します)。
このように血液培養のような増菌培養を行うことで、菌量が少なく診断しにくい感染症もその原因菌を捕まえ、適正な治療を行えるようになります。ただ、注意が必要なのは、ごく少量の菌量を無理に増菌して検査するため、特に血液採取してボトルに注入するまでの段階で、雑菌の混入(コンタミネーション)があってはならないということです。例え1CFUであっても雑菌がコンタミネーションしてしまうと、数日後にその血液培養は「陽性」と判定されてしまいます。この問題のリスクヘッジとして、血液培養検査は2回行われるのが通常です。わざわざ針を2回刺す負担はありますが、誤って病気と判断されて不必要な抗菌薬を受けないために、とても重要な事です。
<医療関係者の為の注意書き>
(*1)Principles and procedures for Blood Cultures; Approved Guideline, CLSI document M47-A. CLSI 2007
(*2)Infect Dis Clin North Am 2002;16:363-7
2011年4月18日月曜日
2. 診断・治療・予防
前回までは各種微生物とその代表的な感染症を例に挙げ、どのような状態を感染症と呼んだらいいのか、ということについてお話してきました。これから少し話を一般化して、感染症の診断・治療・予防の原則論について考えてみたいと思います。今回のその第一回目として、診断の原則として重要な培養同定検査について見ていきます。
第四回目「大腸菌と尿路感染症」でみてきたように、微生物の存在だけでは感染症とは言えません。微生物によって起きる炎症(症状)が確認されてこそ感染症と言えるため、肉眼的に白濁(膿性)なもの、あるいは顕微鏡で白血球が確認出来るものを培養検査していけば、感染症を突き詰めるられるようになります。つまり、培養検査に相応しい検体とは、肺炎であれば膿性喀痰、皮膚であれば膿瘍、尿路であれば膿尿、消化管であれば下痢便、といった具合です。唾や普通便を培養しても、常在菌や定着菌が検出されるだけで、感染症の姿に近づく事はできません。
まず培養検査を行う前に、検体を染色して顕微鏡で確認するという作業が必要です(写真左側)。上述の「白血球が確認できる」検体かどうかの確認になりますし、一定量の微生物が居れば直接目で確認し、形態や染色性からある程度予想も立てられるからです。この作業は検体を採取した医師(あるいは看護師)自身が行うのが理想でしょう。狙い通りに膿性部分が取れたかどうか、自分の手だけが覚えているわけです。顕微鏡で確認して上手く採れていない場合は、もう一度採り直すという選択肢も出てきます。細菌は1000倍に拡大してやっと見える程度の小さい存在ですが、それでも上手く染色して確認すれば、青色に染まるグラム陽性球菌か、赤色に染まるグラム陰性桿菌か、区別することが可能です。前者は例えば肺炎球菌、後者は例えば緑膿菌が予想されます。
次は同定試験ですが、この試験の障害になるのがコンタミネーション(雑菌混入)の問題です。喀痰を培養してみると右側写真にあるように、目的菌以外の複数菌が検出されてしまう場合が少なくありません。この少数派(写真では白色のコロニー)がコンタミネーションです。培養同定検査の第一歩は写真の様に細菌を”引き延ばし”て、単一菌の固まり(コロニー)を作ることから始まります。このステップを「分離培養」といいます。分離培養されれば、このコロニーを新しい検査材料として、栄養要求性などの試験も安定的に行えるようになりますので、正確な同定試験が可能になります。肺炎球菌でいえば、写真右上の様にオプトヒンに対して感受性(円い”阻止円”ができる)を示す、不完全溶血性の連鎖球菌ということで、同定されていきます。
このように細菌培養検査を行うことで、何という名前の細菌によって感染症に至ったのか、同定を付けることが可能になります。ただ、これまでみてきた様に細菌培養に出される検体は、「感染した部位から検体が採取できている」という暗黙の前提があります。何でもかんでも培養すれば良いというものではありません。感染症の正体を見つける第一歩は、炎症を起こした部位からの検体をとることにあります。
2011年3月21日月曜日
1. 市中感染症
前回は大腸菌による尿路感染症を例に挙げ、常在と定着と感染症の関係をお話しました。今回は黄色ブドウ球菌による皮膚感染症を例に挙げ、更に抗菌化学療法(抗生物質のことです)の適応(医療行為の正当性のことです)と問題点(薬剤耐性菌のことです)について考えたいと思います。
左側写真(グラム染色 x1000)にある青い円い球状の細菌が黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)です。皮膚感染症において最も重要な起因菌で、特に皮膚に傷ができた場合、そこから黄色ブドウ球菌が侵入して感染症が成立します。注意したいのは、傷は何もケガだけに限らないということです。アトピー性皮膚炎も傷ですし、やけど(火傷)も傷ですし、外科手術も傷ですし、極端に言えば深爪や髭剃りや引っ掻きも傷です。これら全てに、黄色ブドウ球菌による皮膚感染症のリスクがあります。ひどい場合は写真中央にあるように、膿瘍を形成することがあります。ちなみに、膿瘍が白く見えるのは黄色ブドウ球菌の色ではありません。黄色ブドウ球菌を貪食するために遊走してきた、白血球(左写真の白矢印)がその正体です。適切な処置をしなければ、更に深い組織まで感染症が及び、血液の中(血流感染症)や骨(骨髄炎)に至る事もあります。
今まで見てきたように、本来無菌的な皮下組織で黄色ブドウ球菌という微生物が増殖し、痛みや発赤を生じているわけですから、立派な感染症です。治療の対象になります。では、どのような治療をするのでしょうか?抗生物質を使うのでしょうか?確かに抗生物質は効きます。劇的に効きます。ペニシリンG(右写真)が実用化された1942年以降、特に第二次世界大戦では絶大な威力を発揮し、多くの負傷兵・戦傷者の感染症を治してきました。では逆に言って、ペニシリンGが登場する前は全ての皮膚感染症が治らなかったのでしょうか?もちろん、そんな事はありません。化膿した部分を切開排膿することで、多くの場合は自然に治ってしまいます。元々、皮膚感染症というものは抗菌化学療法が、絶対に必要な感染症とは言い切れないのです。にも関わらず、人々は抗菌薬を使いたがります。効くからです。その劇的な効果から当時、magic bullet(魔法の弾)と呼ばれ、傷を見たらペニシリンG、肺炎を見たらペニシリンG、淋菌性尿道炎を見たらペニシリンG、なんでもかんでも使われました。その結果起きたのは、薬剤耐性菌の台頭です。ペニシリンが実用化される2年前の1940年、すでにペニシリン耐性黄色ブドウ球菌の存在は知られていました(*1)が、ペニシリンGの使用と共に殆どの黄色ブドウ球菌にはペニシリンGが使えなくなってしまいました。今日ではどんなに良くても3割程度(*2)の黄色ブドウ球菌しかペニシリンGは効きません。
抗菌化学療法の問題点を言い表す、 “You use it, you lose it” という格言があります(”Use it or lose it”のパクリ)。抗菌薬は感染症治療で重要な役割を果たしますが、それと同時に薬剤耐性菌を増産するという問題を抱えます。耐性菌に対する絶対的な解決策が得られない現代の医療では、抗菌薬の使用を最小限に抑え、薬剤耐性菌が拡大しないよう神に祈るのみです。本当の意味での抗菌薬の「適応」を、医師のみならず患者さんもよく考える必要があるのです。熱があるから抗菌薬、これはダメです。心配だから抗菌薬、そんなの論外です。感染症だから抗菌薬?それもイマイチです。ウィルスではなく細菌だから抗菌薬、意外とそうでもありません(第四回「肺炎球菌と緑連菌」も参照)。本当の適応と、それから得られるメリット、もう一度考え直してはどうでしょう。黄色ブドウ球菌と皮膚感染症の関係は、その最も象徴的な存在と言えます。
<医療関係者の為の注意書き>
(*1)Nature 1940;146:837
(*2)都内某大学病院で2010年1月-12月に血液培養で検出された菌の統計 院内外の区別はなし
2011年2月21日月曜日
1. 市中感染症
前回は肺炎球菌と緑連菌を例に挙げ、常在菌と感染症の関係をお話しました。今回も大腸菌と尿路感染症を例に挙げ、「常在」と「感染」の境界線について、特に「定着」という状態も踏まえて考えたいと思います。
まず用語の解説ですが、尿路というとイラストのような腎臓・尿管・膀胱を指します。腎臓で尿を作り出し、尿管を通して膀胱に尿を運び、膀胱に一時期貯めて、排尿に至る一連の臓器です。尿道や前立腺も含まれますが、今回はこの3臓器だけを取り上げます。
意外かもしれませんが、尿路は本来は無菌的な臓器です。採取するときに細菌の混入(コンタミネーション)がなければ、尿を培養しても細菌が検出されることはありません。大腸菌(右側写真の赤矢印で示したグラム陰性桿菌)は大腸の中であれば「常在菌」ですが、膀胱内は「常在」ではないのです。このため、大腸菌が尿道から逆行的に膀胱に入り込み、膀胱内で増殖した状態は異常といえます。ただし、細菌が検出されたからといって、それを「感染症」と呼ぶかというと、そうでもありません。もし本人が痛くも痒くもなく、全くの無症状で困っているわけでなければ、ただ単に細菌がそこに居るだけです。しかも、放っておくうちに尿として外に出されてしまえば、この問題は解消してしまいます。これを「無症候性細菌尿」と呼び、感染症と区別して考えられる「定着」という状態です。勿論、抗菌薬を使う必要はありません(妊婦など限られた場合を除いて)(*1)。
もし、膀胱で増殖した細菌に対して痛いと感じたり、刺激の為に頻尿になったりするなら、抗菌薬を使って細菌を倒す事に意味があるでしょう。治療することで症状が改善するのですから、抗菌薬というリスクを冒すだけの価値があります。これが「膀胱炎」という名前で呼ばれる「感染症」です。実は感染症と定着の境界線は、症状があるか否かなのです。
膀胱炎は大腸菌などの細菌が尿道から逆行して感染する場合が大半です。その延長線上に待っている臓器として、尿管から更に逆行して腎臓があります(イラスト参照)。ここに感染症が成立すると、痛みや発熱などの症状が生じます。これを「腎盂腎炎」と呼びます。CT写真(断層写真)を用意しましたが、腎臓は背骨に近い位置にありますので、腰の辺りを叩くと痛いわけです。もっとも、熱があって腰を叩くのはお医者さんくらいなものですから、患者さんはその事に気がつきません。患者さんが気付けるのは、「おなかが痛い」と「熱がある」の2点でしょうか。「おなかの風邪をひいた」なんて訴えて病院にいらっしゃる方も少なくありません。おなかの風邪といっているのに、このお医者さんは尿検査だの腰を叩くだの、変なことをするんだなぁ、と思わないで下さいネ。
常在と定着と感染症の関係、おわかり頂けたでしょうか?細菌がいるだけで感染症とは呼べないということ(常在菌が居るから)、本来無菌的な場所から細菌が検出できただけでも感染症とは呼べないこと(定着という状態があるから)、感染症と呼ぶにはこれに加えて何らかの症状がある、この3点を理解することで感染症とはどういうものを指すのか、より理解が深まると思います。
<医療関係者の為の注意書き>
(*1)Clin Infect Dis 2005;40:643-54
2011年1月24日月曜日
1. 市中感染症
前回は潜伏する性質のある病原体としてEBウィルスとHIVを例に挙げ、病原体の存在が即感染症とは言えないという問題点をお話しました。今回は「潜伏」とは別の「常在」というメカニズムを考えたいと思います。ウィルスではなく細菌(ウィルスと細菌の違いについては、2010年11月15日第二回目「ライノウィルスとインフルエンザウィルスとインフルエンザ桿菌」を参照下さい)がこの性質を持ちます。
中央に示した写真が緑色連鎖球菌(緑膿菌;viridans Streptococcus)です。S. oralisやS. salivariusやS. mutans(どこかで聞いたことありませんか?)など色々な種類があるのですが、血液寒天培地で培養すると中途半端に溶血する(左側写真のα溶血)連鎖球菌の総称です。口の中を拭って顕微鏡で観察すると、グラム陽性球菌(青色に染まる丸い球状の細菌)として見つけられます(*1)。いつ拭っても見つけられます。口の中を100%完全殺菌というのは不可能なので、歯磨きをしても、うがいをしても、アルコール殺菌しても(?)、ものの数時間で直ぐに元に戻ります。これを常在菌と呼びます。居るだけですから害はありません。増えすぎない様に定期的に歯磨きなどをして、清潔を保っていれば特に問題ありません。ただし、これが血管の中に入り込むとたまに感染症(感染性心内膜炎)になります。お酒を飲み過ぎて意識がなくなって、唾液として気管から肺にたれ込まれても、やはり感染症(誤嚥性肺炎)になります。ここで重要なことは、緑連菌という口腔内常在菌でも、存在する場所(臓器)によっては感染症になり得るということです。どこの臓器から細菌が確認されたのか、これを明示しなくては感染症かどうかの判断ができません。そして、感染症予防という観点でいえば、口の中から血管や肺に移動してしまう、構造上の問題が重要です。虫歯は感染性心内膜炎にとって問題かもしれません。脳梗塞や薬物中毒など、嚥下機能障害は誤嚥性肺炎の原因として重要です。バイキンはとにかく駄目、という考え方はいただけません。
そして、数あるα溶血性連鎖球菌のなかでも、最も注意したい連鎖球菌の一つが、肺炎球菌(一番右の写真)です。肺炎球菌は口の中ではなく鼻腔が住処です(*2)が、100人調べれば100人全員で見つかるわけではないので「常在菌」とは呼べず、しかも病原性が高いです。肺炎球菌が鼻についた場合、人によっては鼻水や発熱が出ることがあります。この肺炎球菌、子供の場合は圧倒的多数の子供が持っていて(*3)、よく鼻水やら発熱やら起こします。確かに副鼻腔炎という名前の感染症です。が、抗菌薬治療を行わないと死んでしまうというわけではありません。もし死んでしまうようなら、人類は今頃絶滅しています。問題はこの肺炎球菌が「何処に入り込むか」です。鼻をかむ時に中耳に入り込むと、中耳炎になります。鼻水をすすって、肺に入り込むと肺炎になります。鼻からダイレクトに脳に入ると、髄膜炎になります(*2)。この様な問題を起こすことなく、立派に成長していけば、いずれ肺炎球菌も姿を消していき、大人になるとあまり見られないようになります(*4)。肺炎になってしまったなら抗菌薬治療しかありませんが、鼻水が出るから、熱が出るから、といって抗菌薬を使うのは、必ずしも賢い方法ではありません。そうならないように、あらかじめ肺炎球菌に対してのワクチンを受けておく方が良いでしょう。この問題は2010年11月15日第二回目で取り上げたインフルエンザ桿菌の問題と全く同じです。インフルエンザ桿菌に対してのワクチンもまた、受けておく方が良いでしょう。
<医療関係者の為の注意書き>
(*1)分かりやすくするため、一菌種だけ分離したものを塗抹しなおしたものを写真にしました。実際に口の中を拭うと、複数種類のviridans Streptococciが確認されます。
(*2)Lancet Infect Dis 2004;4:144-54
(*3)Clin Infect Dis 2008;46:807-14
(*4)Clin Infect Dis 2006;43:673-79
(*5)Stevens-Johnson症候群を意図して書きました
2011年1月24日月曜日
1. 市中感染症
EBウィルスにしろHIVにしろ、感染した後しばらくの期間、ウィルスを排除する為に異型リンパ球が出現します。写真は末梢血を塗抹してギムザ染色したもの(X1000)です。正常なリンパ球と比較すると、丸くなくイビツな形の「異常な(異型)」リンパ球という気がしませんか?
前回はインフルエンザとインフルエンザ桿菌を例に挙げ、微生物を見つけただけでは感染症の原因と言い切る事はできない、という問題点をお話しました。今回はその最も際だった特殊な例、EBウィルスとHIVについて考えたいと思います。
EBウィルスはあまり聞いた事がないかもしれませんが、実は私たちにとって最も身近なウィルスです。何せ、成人の90%以上がこのウィルスを「持っている」のですから。EBウィルスは喉で増殖した後(そのため最初の症状は風邪と同じです)、本来目的の白血球(正確にはBリンパ球)の中に住み込みます。その後も一生涯に渡って白血球中に潜伏し続けますので、多くの人が「持っている」のです。潜伏するだけでは子孫繁栄になりませんので、そこからウィルスが作られる場合もあるでしょう。ですが、人間には免疫システムがありますから(写真の異型リンパ球はその代表)、作られたウィルスも片っ端から排除されてしまいます。ですから、「潜伏」なのです。この状態を私たちは「感染症」とは呼びません。喉が痛かったか、高い熱があったか、一番最初に「困った事があった」時だけを「感染症」と呼んでいます。ウィルスそのものが無くなったわけではありませんので、ヒトによっては唾液中で見つけられる場合もあります。当然、他のヒトに感染させる力があります。まだEBウィルスに感染した事がない人は、他人の唾液を喉に入れてはいけないのです。もっとも、そうもいかないのが人間の性ですが・・・。
一方のHIV(Human Immunodeficiency virus : 人免疫不全ウィルス)は聞いた事があるでしょう。同じようにヒトの白血球(こちらはTリンパ球です)に住むウィルスです。こちらも「潜伏」しますから、潜伏した状態では何の症状もありません。これもまた感染症とは呼びませんが、EBウィルスと違ってHIVが潜伏するのは極めて深刻な大問題です。数年後には再び大増殖し、Tリンパ球を破壊しつくしてしまうからです。Tリンパ球がなくなったヒトは、それまでTリンパ球によって感染せずに済んでいた細菌(例えばサルモネラ)・カビ(例えばニューモシスチス)・ウィルス(例えばサイトメガロウィルス)・原虫(例えばトキソプラズマ)にさえも感染してしまい、マトモには生きていけない状態になってしまいます。この状態をAIDS(Acquired Immune Deficiency Syndrome : 後天性免疫不全症候群)と呼びます。ですから、HIVが潜伏しているヒトの血液や体液を、他人の体に入れてはいけないのです。
こう考えていくと、ウィルスの存在が即感染症とは言えない、という事がご理解頂けたでしょう。例えウィルスが居る状態でも、免疫システムが押さえ続けているため、何も症状が出ることはありません。これは他のヒトから新しく同じウィルスを移される場合も同じです。一度罹った病気には二度と罹らない、という免疫の原則がここにあります。だからといって何でも罹っておけばオトク、というわけではありません。HIVなどの例外があるのですから。ヒトから移されるウィルスは必要最小限に止めるのが最善でしょう。他のヒトと交わるのは、実は命がけの行為だということを肝に銘じる必要があります。
2011年1月24日月曜日
1. 市中感染症
前回は結核を例に挙げ、感染症という現象は原因となっている微生物を、体のどこかから見つけ出す事ができる、という原則をお話しました。今回はその焦点を「風邪」に当てたいと思います。「風邪」も立派な感染症ですから、そこには感染症の原因になっている微生物がいます。
「風邪」というとこのようなイメージを抱く方は多いでしょう。実をいうと、医学書には「風邪」が定義されていません。そこで、ここでは便宜的にライノウィルス(Rhinovirus)などの風邪ウィルスが喉や鼻に巣くったことで、鼻水や咳が出る現象を「風邪」と定義します。「rhino-」という言葉は「鼻」という意味で、要するに鼻水がズルズル出る事を指します。その鼻水にはウィルスが含まれていますので、他のヒトに感染させる力があります。コッホの原則通りです。
同じ喉や鼻にウィルスが巣くう病気として、インフルエンザがありす。風邪と同じように鼻水や咳が出て、強い寒気に続いて高い熱が出る現象です。顕微鏡や細菌培養などの技術発展に伴い、細菌学が隆盛を極めた19世紀後半、鼻水などを顕微鏡で確認すると、多数の人からグラム陰性短桿菌(写真左:赤色に染色される短めの細長い形の細菌)が見つけられた事から、当時の人々は「鼻水からインフルエンザの原因微生物を見つけた」といって喜んだのです。確かに見つける事はできたのですが、それを他のヒトに感染させても、同じ現象は起こりませんでした。今日でもインフルエンザ桿菌とよばれるこの「細菌」はインフルエンザの原因ではなく、ただ「そこに居た細菌」だったのです。ヒトの鼻水は元々多数の細菌が常在していますから、見つけただけで原因とは言えないのです。「微生物が見つかった=症状の原因だ」という理解の仕方は、必ずしも万能な考え方ではありません。インフルエンザウィルスという原因ウィルスが発見されるのは、それから少し経った20世紀初頭のことです。ウィルスは細菌と比較してサイズが小さく、光学顕微鏡ではとても見つけられません(写真右)。細菌学者達は、この眼では捕らえきれないウィルスを相手にしていたのです。
鼻水や咳と高い熱が出た時に、病院で検査をしてもインフルエンザウィルスが見つからなかった経験はありませんか?同じ喉に巣くって発熱を来すウィルスでも、例えばパラインフルエンザウィルスやアデノウィルスなど、他にも多数のウィルスが原因になり得るためです。発熱はインフルエンザウィルスの特権ではありません。
逆に、発熱も大したことないのに、インフルエンザウィルスが見つかった経験はありませんか?同じインフルエンザウィルスが巣くったとしても、発熱を出すのはあくまで人間の免疫反応です。免疫反応が充分に発揮されない高齢者や糖尿病患者さんなどでは、必ずしも高熱が出るとは限りません。
感染症の原因になっている微生物を見つけにいく、という方法論で隆盛を極めた微生物学も、ここに来て考え直す必要が出てきました。この症状があったから原因微生物はこれだ、この微生物が見つかったからこの症状が出る、という一対一対応では感染症を理解できないのです。
2010年10月25日月曜日
1. 市中感染症
※ 分かりやすくするための合成イメージです
感染症という現象を理解するには、まず結核の話から始めるのが最適でしょう。
その昔は「労咳」と呼ばれるように、何となく元気が無く、いつまでたっても咳をし続け、徐々に痩せ細っていき、やがては血を吐いて死に至る病のことを指しました。レントゲンも無ければ顕微鏡もなく、微生物という概念さえなかった江戸時代、この病気を感染症であると捕らえる根拠は、”流行する病気”ということだけでした。しかし、同じ”流行する病気”でも脚気や壊血病は、突き詰めてみればビタミン不足が集団で起こっただけのことです。単純に”流行する病気”というだけで、感染症とは言えないのです。また、伝染するといってもインフルエンザなどと違い、結核は数ヶ月〜数年の時間で徐々に発症しますから、数ヶ月前に会った人(排菌者)の事を忘れてしまい、その自覚がない場合も多いでしょう。「私もいつかかかるのかしら・・・」と、当時の人は漠然とした不安にさいなまれた事でしょう。幽霊は正体を見ない限り、不安を煽り続け、妄想をかきたてるものです。
沖田総司や高杉晋作の時代に遅れること数十年、幽霊はその正体を結核という”モノ”として現します。
1895年にヴィルヘルム=レントゲンがX線写真を考案し、結核=肺に核を結んだ病気、という”モノ”として認識されました。それまでも咳が主症状で、血を吐く病気であることから、肺が問題であろう事は予想されていましたが、X線写真の登場により体の中にある”モノ”として捕らえられるようになりました。
それから少し前後して、1882年にロベルト=コッホが結核の病巣から結核菌:Mycobacterium tuberculosisという微生物(写真右の赤いモノ:チールニールセン染色 x1000)の分離培養に成功しました。
顕微鏡で1000倍に拡大してやっと写真程度のサイズの微生物です。微生物が原因で結核という固まりが出来た、と最初は信じてもらえなかったかもしれません。しかし重要な事は、同じ「肺に核を結ぶ病気」でも、肺癌と違って結核菌がその原因になっており、この微生物を病巣から取り出す(分離する)ことが出来るということ。取り出した微生物は他のヒトに同じ病気を作り得ること(これが「伝染する」という現象)。そして新しく感染したヒトから全く同じ微生物が分離できること。この4つはコッホの原則と呼ばれ、感染症を理解する上での基本的な大原則として今日まで伝えられています。
咳・痩せ・血痰、という現象で恐れられるだけの幽霊は、Mycobacterium tuberculosisという”モノ”として正体を現したのです。
つまり感染症という現象は、原因となっている微生物を体のどこかから見つけ出す事ができる、という原則があります。そしてその微生物を殺菌することで病気の治癒が可能になる・・・この様にして感染症という医療体系が整って行きました。感染症診療の最も重要な原則は、この様に感染している臓器を明らかにし、その微生物(起因菌と呼びます)を明らかにする、という作業です。