大動脈弁がVSDを通して右心室に逸脱しARが発生するメカニズムについては、かなり古くから論議が交わされていた。1905年のKarl Hartの論文
15には、「右バルサルバ洞と右冠状動脈尖の下半分が半月状の心室中隔欠損を通して膜様部より上の左右肺動脈弁尖の直下に瘤状に引き出され、右冠状動脈尖は洞の膨隆とともに右下方に引き出されていた」と述べられていた。この記述は大動脈弁とバルサルバ洞が一つながりの構造をしていて、両者が右室側に逸脱していたことを端的に表現している。
Wood
12によれば、1921年LaubryとPezziが、高位VSDに大動脈弁のひとつが引き込まれて閉鎖不全を起こした解剖例を報告したとされている。1933年の報告例
13を見る限り、大動脈弁がVSDに逸脱したためにARが生じていたことは明らかである。
その後アメリカの研究者たちは、大動脈弁がVSDにprolapseする理由を大動脈の中隔への騎乗と軸回転によるとする考え方に傾いていった。TaussigとSemans
23は1940年、7歳のEisenmenger型VSD
*にARを生じた1例を報告した。この患者では大動脈弁が心室中隔に騎乗し
*、右心室側に張り出していた。
SelzerとLaqueur
44は1951年、Eizenmenger複合
*の解剖例からそれをA、B、Cの3群に分け、C群を大動脈弁の変形のあるものとした。C群は大動脈弁が心室中隔に軽度騎乗したもので、大動脈弁閉鎖不全が生じるとした。SelzerらはEisenmenger型VSDで右室圧が左室圧より低い場合は、渦流が右心室血液をねじ曲げながら大動脈へ流れていくため、Wiggersの教科書
45に記載されたベンチュリー現象
*が生じ、大動脈弁がVSDに逸脱すると推測した。
Selzerらは続けて、VSD+ARの解剖例はEisenmenger型VSDであるが、大動脈弁逆流により心臓が反時計方向に回転したために、大動脈の心室中隔への騎乗の度合いが修正され、左右短絡になったと述べている。
他にも多くの研究者
46-50が本症でEisenmenger型VSDを有する症例を報告している。Nadasら
28も本症には特有の大動脈の軸回転があると述べている。しかしScott
19によれば右冠状動脈尖が心室中隔に騎乗することは、Becu
2らも指摘しているとおり、この形のVSDでは普通のことであり、VSD+ARの亜型に分類するほどではないと述べている。
1959年南アフリカ、ケープタウンのNellenら
51は、15歳の少年の1例と、それまで報告された46例のVSD+AR例を見直して、次のように述べた。「この症例では大動脈弁が欠損にかぶさるように逸脱し、(遊離縁が)わずかに低くなり、肥厚、瘢痕化し、中空にぶら下がった状態になったため、大動脈弁閉鎖不全が生じたのである。(中略)、さらに弁が下方に引っ張られたのは、弁直下の欠損を左心室から右心室へ通り抜ける血液のジェット流のベンチュリー効果による」。Nellenのこの説明はSelzerのそれよりも具体的で、本症の発生メカニズムを血行動態的に明快に説明している。
1950年の後半になると人工心肺の改良により、VSDの手術も徐々に安全に行われるようになった。VSDの手術が多く行われれば当然、VSD+ARをどう治すかが問題になる。1962年ジョンス・ホプキンス大学のSpencerら
52は、本症は大動脈弁遊離縁垂れ下がったために生じたのであるから、VSDを閉じても閉鎖不全を治すことはできないと述べた。彼らは伸びきった弁遊離縁を短縮する弁形成法が有効であることを示唆した。
一方、ニューヨーク、モンテフィオーレ病院のRobinsonら
53は、肺動脈弁下VSD(彼らは膜性部といっている)に大動脈弁がprolapseした一例を図で示しながら
(図23)、それをアイバロン・スポンジで閉じてARが抑えられた12歳の少年の例を報告した。その論文でRobinsonはARの発生機序を次のように述べている。動脈瘤のように膨らんだ大動脈弁が拡張期に下垂して心室間交通を閉鎖する。その結果大動脈弁のアランチウス体と3弁尖の遊離縁の同じ高さでの対峙が失われ、一つの弁尖が支えを失って隣り合う弁尖よりレベルが低くなり、ARが生じるのである。
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図23 Robinsonら53の説明 |
本症の発生メカニズムの全体像が未だ十分把握されていない時期に、これら二つの報告は病態を極めて正しく捉えていたといえる。
後で詳しく述べるが、VSDにARが生じるメカニズムはかなり多彩である。大動脈弁の交連部の形成不全による二尖弁もARを発生する要因のひとつである。またVSD+ARで特に多いのは、肺動脈弁下VSDでの大動脈弁の落ち込みによるものであるが、これは次のように進行する。漏斗部筋層の支持を失った大動脈弁輪部がバルサルバ洞の一部とともに、主に収縮期の短絡血流や大動脈の側圧でVSDへprolapseする。それとともに拡張期の大動脈圧によって遊離縁の延長が起こり、弁の対峙が失われると、逆流が生じる。その後は弁逆流を交え、これらの血流作用がすべて関与して弁遊離縁を肥厚させ、弁尖を萎縮させ、弁高を短縮させる。
こうしたメカニズムからいえば、Robinsonらの例は発生の比較的初期にあったと思われ、Spencerらは遊離縁が延びきって、もはやprolapseした弁輪部を左心室側に押し込んでもARが治らない状態の症例を示したことになる。
すでに述べたように、Nadasら
28は本症の発生メカニズムについて、大動脈が反時計方向に30~40度回転し、室上稜が前左方に移動していることを上げている。さらに、「生まれたてのひよこで実験的に肺動脈弁下のVSDを作ると、右冠状動脈尖の欠損への逸脱を生じることがある」という、メキシコの国立心臓研究所のMaria de la Cruzの言葉を引用している。
一方、東京女子医科大学の榊原と今野
11は、1968年、バルサルバ洞動脈瘤の手術例55例と15例の剖検例の研究から次のような結論を得た。VSDを伴うバルサルバ洞動脈瘤は初め小さな突出であるが、比較的早い時期からARが出現する。洞瘤は成長とともに大きくなり、弁逆流も次第に強まる。そして最終的にはその先端が右心室内に破裂する
(図24)。
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図24 榊原、今野11の洞瘤の発達説 |
この考えは同じ患者を長年観察した結果得られた結論でないため、多少の誤解がある。例えば洞瘤が成長する過程で、すべての例がARを伴うものでないことは、この発表の後、多くの症例で証明された。また洞瘤の成長とARの強さが常に関連あるわけでないことも次第に明らかになった。
しかしこのバルサルバ洞と大動脈弁が同時に逸脱するという考えは、以後に述べる右心室側からの筋肉性の支持の欠如が、これら洞壁と弁とを同時に右室側へ逸脱させる原因であることを示したものとして、極めて意義のある報告であった。