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医療講座3

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「なぜ心室中隔欠損に大動脈弁閉鎖不全が起きるのか」の掲載に当たって

2014.3.31 龍野 勝彦

先天性の心疾患である心室中隔欠損に、普通は後天性の心疾患と考えられている大動脈弁閉鎖不全が起こることがある。この複合心疾患は、特に日本人など北東アジア人に多いといわれている。かつてはこの2つの心臓病が何故一緒に起こるのか、またどうしたらそれを治すことができるのか、世界中の研究者がその問題を解決するために研究を続けた。

私も1968年4月に、東京女子医科大学日本心臓血圧研究所外科教室に入ると間もなく、
今野草二先生の指導でこの難問に取り組み、当時、発達途上にあったシネ造影写真を使って、そのメカニズムの一部を世界に先駆けて明らかにした。

この講座は、世界中の人たちが取り組んだ心室中隔欠損と大動脈弁閉鎖不全の合併の謎とその治療法を、文献を辿りながら解説したものである。内容はかなり専門的であり、一般の方々には難解かと思われるが、医学生や若手の心臓外科、循環器小児科・内科の医師には、極めて興味深く、参考になる部分があるのではないかと考える。

講座は全部で9章あるが、順次掲載していくので、楽しみながら最後までお読みいただきたい。文中難しい用語にはをつけて、文末に解説を載せた。一部引用文献の末尾ページが欠けているところがある。40年ほど前に行った研究のため、文献が一部散失したためである。図書館で調べれば直ぐに分かることだが、忙しさと生来の怠け癖が邪魔をして果たせないでいる。お許しいただきたい。また掲載した図の一部は昔のコピーのため、画像の質が悪く、見づらいかもしれない。この点もご容赦願いたい。

1.研究の始まり

  私 「先天性心疾患について勉強するには、何から始めたらよいでしょうか。」
今野先生 『VSD(心室中隔欠損)
  私 「それはどうしたら勉強できますか」
今野先生 『標本室』

私は、東京女子医大日本心臓血圧研究所(心研)外科、いわゆる榊原心臓外科に入ったばかりの駆出し医者だった。
心研に入局して最初に配属されたのは6階小児病棟で、外科のチーフは蝦名勝仁先生だった。蛯名先生は手術が上手なうえに大変優しい方であった。それで1ヵ月もすると、私は、しばらくこの先生の下で先天性の心臓病を勉強してみようと思うようになった。
『心研外科で一番優秀なのは今野だ』
指導医の平塚博男先生に言われて、私は今野先生に話を聞くことにした。
冒頭の会話は、1968年6月、医局で私が初めて今野先生とお会いしたときのものである。

 

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心研研究部の標本室

 今野先生の二つのアドバイス「VSD(心室中隔欠損)」と「標本室」を胸に、私は心研研究部に出かけて行った。心研研究部は消化器病センターの前にあった。一階は吹き抜けで、地下に広い実験室があり、2階が事務局や会議室、そして標本室はその一番奥にあった。標本室で私が見たのは、スチール棚に積まれた夥しい数の青いビニールバケツであった。そしてその中には心臓の標本がびっしりと詰まっていた。
 私は係りの人にVSDの標本を見たいといった。翌日、標本室に行ってみると、例の青いバケツが10個ほど並んでいた。
 その日から私の心臓標本の観察が始まった。解剖の本を傍らに標本を見てはスケッチをしていった。時には標本を傷めないよう細い針を右室側から刺して、先端が左室側の何処に出るのか観察した。
 標本室通いをしていたある日、医局で小児科の高尾篤良先生にお会いした。先生には前からお伺いしたいことがあった。

  私 「今、私はVSDの標本を見ています。参考になる文献がありますか」
高尾先生 『VSDなら、最近ショーツさんが書いていますよ』

 高尾先生は例によって、右手を外に向かってくるくるっと回すような独特のしぐさをしながら、私に教えてくれた。
 「ショーツさん、外国人らしいが、どんな綴りなのだろう」。そう思いながら私は大学の図書館に向かった。そこで分厚い外国文献検索誌Index Medicusを一冊ずつ取り出しては、著者名を片っ端から調べてみた。
「ショーツ、Shorts、Schortz、Schoutz、Showtz、Showts、Syorts」、いろいろな綴りで調べたが、VSDについての論文は出てこない。それならば逆にVSDから調べてみたらと思い、ventricular septal defect(VSD)の項目をくまなく調べた。それでもショーツの文献は出てこない。
 おかしいショーツのVSDの文献は見つからない。名前を聞き違えたのか。英文検索を諦めて私は、何気なく日本語論文の検索雑誌、医学中央雑誌を手にとって眺めていた。そのとき正津晃、心室中隔欠損症の外科解剖の研究1という論文が目に入った。
 「ん!?」と思い、それをメモして別の棚にあった日本胸部外科学会雑誌の1967年版を開いてみた。その887ページに確かに正津先生の論文はあった。そしてその英文抄録の著者名を見て、私は思わずうなった。そこにはAkira SHOHTSUとあった。高尾先生がおっしゃっていた論文とはこれだったんだ。
 正津先生の論文は、慶応大学外科のVSD手術例90例と剖検心24例について、右心、左心両側から詳細に検討を加え、日本胸部外科学会雑誌に発表したものであった。正津先生はまず右心室と左心室の関係がどのようになっているのか、中隔に針を刺して調べていた。これはまさに今私がやっていることと同じではないか、私は感嘆しながらその論文を繰り返し読んだ。

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Becuの解剖学的分類

 正津の論文をきっかけに私は、VSDの解剖とそれに関連する文献を数多く知ることになった。初めは1956年のBecuらの論文2であった。これはアメリカ、ミネソタ州のメイヨークリニックとミネソタ大学大学院からの報告で、心臓外科医として有名なJ. W. Kirklin、それに心臓病理学者の大御所J. E. Edwardsらが共著者として名を連ねていた。
 「VSDにおける解剖と病理学的研究」と題するこの論文は、50例のVSDの剖検心について、合併症のない単純なVSD34例と、合併症のあるVSD16例の二つのグループに分け、それぞれについてVSDの位置関係を調べたものであった。彼らは、VSDの位置を大まかに、(1)右心室流出路にあるものと、(2)右心室流出路以外にあるものの2つに分けた。
 右心室流出路を示す重要な目印は、(1)三尖弁輪、(2)円錐部乳頭筋、(3)室上稜、そして(4)肺動脈弁で、手術時に右心室を切開すれば見られる範囲のことである。(1)の右心室流出路にあるVSDの中には、室上稜の下方にあるVSD(いわゆる膜性部VSD)と、室上稜の前方にあるVSD(いわゆる漏斗部VSD)が含まれるとした(図1)

Becuの解剖学的分類

図1 右室から見た心室中隔(Becuら2による、一部日本語に修正)
  この標本は右心室を縦に大きく切開して、三尖弁前尖乳頭筋を根元で
  切り離し、図の左側に開いたものである。上方から肺動脈、室上稜、
  円錐部乳頭筋、三尖弁中隔尖、切り離された前乳頭筋の間に右心房が
  見える。下方右側が心尖になる。Mは膜性部を示した。心室流出路に
  あるVSDとは肺動脈弁輪部から膜性部までのVSDを指す。

そして(2)の右心室流出路以外にあるVSDはさらに2つに別れ、三尖弁、僧帽弁の2つの房室弁の弁輪に接するVSD(いわゆる房室中隔欠損型VSD=心内膜床欠損型VSDまたは房室口型VSD)と心尖部の筋性中隔にあるVSDであった。
 BecuらのVSDの位置と解剖症例数を表1に示した。合併症のないVSDでは、室上稜下方のいわゆる膜性部VSDが圧倒的多数であった。それに対して合併症のあるVSDでは、室上稜上方(漏斗部)VSDや房室弁輪に接するVSDが多かった。

 

表1 VSDの部位別症例数(Becuら2)

VSDの部位 合併症のないVSD 合併症のあるVSD
室上稜の下方(膜性部)のVSD 29 6
室上稜の上方(漏斗部)のVSD 1 3
房室弁輪に接する(房室中隔欠損型)VSD 1 4
心尖部の筋性中隔にあるVSD 3 3*
合計 34 16

*1例は流出路下方VSDと流入部後方基部のVSDの2つを有していた。

 室上稜下方(膜性部)のVSDは、右心室側から詳しく見ると、欠損の大部分が三尖弁中隔尖の下にあるものから、やや右室流出路に近いものまである。これを左心室側から見ると、三尖弁中隔尖の下にあるVSDは、大動脈弁の無冠状動脈尖の下方で、僧帽弁の弁輪に接する位置にあるのに対して、右室流出路に近いタイプは右冠状動脈尖の下方で僧帽弁から離れた位置にある。
 室上稜上方(漏斗部)のVSDについては、Becuらの論文に示された症例では、右心室側から見ると欠損が主に肺動脈弁の左尖の下にあり、その弁尖だけが左室側に大きく落ち込んでいる。これを左室側から見るとVSDは左冠状動脈尖の下にある。論文中の室上稜上方VSD 4例のうち2例が大動脈弓離断または大動脈縮窄を合併しており、そこに示されたVSDは恐らく、いわゆる大動脈縮窄型のVSDであったと思われる。
 房室弁輪に接する(房室中隔欠損型)VSDは、左心室側からみると、ほとんど僧帽弁の後内乳頭筋の根元付近にある。また筋性中隔欠損は、右心室からも左心室からも心尖部近くの筋性中隔に孤立性に存在する。

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Warden, Kirklinの外科的分類

 翌年の1957年、アメリカ胸部外科学会雑誌(Journal of Thoracic Surgery)に、2つのVSDの外科的分類が並んで報告された。ひとつはミネソタ大学のLilleheiらのグループのもので、Wardenらが報告していた3。もうひとつはメイヨークリニックのJ. W. Kirklin4らのものであった。
 Warden、Lilleheiらは、1954年3月から1956年5月までの間に人工心肺や交差体外循環を用いて、87例のVSDと33例のファロー四徴の手術を行った。これらの手術例および解剖例をもとに、彼らは1875年のRokitanskyの分類に倣って、表2に示した解剖学的分類を行った。表のカッコ内には、現在われわれが使っている疾患用語を記載した。また右の数字は彼らが行った手術症例数を示した。
 ここで注目したいのは、Wardenらの報告でもいわゆる膜性部VSD(C-2-bの型)が多く、漏斗部VSD(C-1-aとC-3の型)が少ないことである。

表2 心室中隔欠損の解剖学的分類(Rokitanskyの分類による)

VSDの分類 手術症例数
A. 心室中隔の完全欠損(単心室) ――
B. 後方心室中隔の欠損 (房室中隔欠損型VSD) 5
C. 前方心室中隔の欠損  
  1.前方心室中隔の全欠損  
   a.動脈幹の直径が正常のもの(漏斗部中隔全欠損) 1
   b.肺動脈狭窄または閉鎖を伴うもの(異型ファロー四徴) 3
  2.前方心室中隔の後方欠損  
   a.動脈幹の位置異状を伴うもの  
    α.動脈幹の直径が正常のもの(大血管転位など) 2
    β.肺動脈狭窄または閉鎖を伴うもの(ファロー四徴) 30
   b.動脈幹の位置が正常なもの(膜性部VSD) 71
  3.前方心室中隔の前方欠損(漏斗部VSD) 4
D. 通常でない部位のVSD(筋性中隔欠損) 3
E. 異状な中隔の欠損(右室/左室低形成症候群、修正大血管転位など) 1
F. 後天性心室中隔欠損 1

 この分類には、ファロー四徴や大血管転位、右心/左心低形成、外傷などによるものまで含まれており、より単純なVSDの分類を望む臨床家には複雑過ぎるきらいがあった。
Warden らの論文に続いて、同じ雑誌にJ. W. Kirklinの論文4が掲載された。これはJ. E. Edwardsら心臓病理学者との共同研究で、VSDの38の心臓標本と36例の手術例について報告したものであり、図2に示したように極めて簡潔な分類であった。

Warden, Kirklinの外科的分類
図2 KirklinのVSD分類

 Kirklin分類の1型は、右心室流出路にあって肺動脈弁の直ぐ下にあるVSDである。これを左心室側から見ると、欠損は大動脈弁の右冠状動脈尖の右側直下にある。2型は右室流出路の室上稜(Crista supraventricularis)の下にあるいわゆる膜性部中隔欠損(perimenbranous VSD)であり、漏斗部心室中隔と右室流入部の心室中隔が三尖弁の弁輪で接するところに開いた孔である。2型のVSDは左心室側から見ると、大動脈弁の右冠状動脈尖と無冠状動脈尖の直下にある。
 3型は三尖弁中隔尖の下にもぐりこんだ、いわゆる房室中隔欠損型VSDである。この場合左心室側から見ると、VSDは大動脈弁とは離れていて、むしろ僧帽弁に近いところにある。次の4型は心尖部に近い筋性中隔のVSDである。
 Kirklin分類はWardenのものに比べ、外科医にも容易に理解できるものであったので、その後VSDの外科分類として長く用いられた。

 

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東京女子医大のVSD分類、Goorの分類

 ある日、心研所長室受付に行ったとき、榊原教授の秘書の方から猪俣和仁先生の心室中隔欠損症の研究という論文5をいただいた。1959年に発表されたこの論文は、まだわが国でVSDの多数例の報告がなかった時代に、手術、心臓カテーテル法それに剖検によって確認された76例について、欠損孔の位置から肺高血圧の血行動態、肺病理にいたるまで詳細に検討していて、当時のとしては大変貴重な研究であった。
 猪俣はその論文の中で、VSDの位置をⅠ型(前中隔前部(肺動脈弁直下)型)、Ⅱ型(前中隔(漏斗部中隔)全体の欠損)、Ⅲ型(前中隔後部(いわゆる膜様部)欠損)、Ⅳ型(後中隔(三尖弁中隔尖の裏)にあるもの)、Ⅴ型(筋性部欠損を含む不定位型)、Ⅵ型(外傷や感染、心筋梗塞などによる二次的VSD)に分類した(図3参照)。猪俣の分類は、Kirklin分類4を基本に、それを日本の実情に合うように改変したもので、後々まで東京女子医大心研分類として広く用いられた。

東京女子医大のVSD分類、Goorの分類
図3 猪俣のVSD分類

 さらにその後、VSDに関して重要な分類が2つ発表された。ひとつは1970年、ミネソタ大学のJ. E. Edwards、C. W. LilleheiのところからDaniel A. Goorら6が行ったものであった。彼らは胎生期に中隔を構成する原基の融合線上にVSDができることが多いことから、出来上がった心臓にその仮想融合線を描き、それに添ってVSDをまず漏斗部型と洞部型の二つに大別した。そして漏斗部型VSD、洞部型VSDにそれぞれ五つの亜型を加えた。この分類は発生学的には正確で、解剖標本を見るには有用であったが、手術時に用いるには複雑すぎて、結局広く使われなかった。

 

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SotoのVSD分類

 もう一つは、ずっと後の1980年、アメリカのアラバマ州立大学の放射線科医Benigno Sotoが報告した分類7である。彼は、アムステルダムとロンドンの心臓病理医Anton Becker、Robert AndersonらとともにVSDの分類を発表した。
 AndersonとBeckerの心臓解剖学では、心室内の筋肉に対する名称がそれまでとは全く異なっていた。例えば右心室流入部の心室中隔については、それまで、本来の心室中隔(Primary ventricular septum)とか、洞部中隔(Sinus septum)、あるいは滑らかな中隔(Smooth septum)などと呼ばれていたが、彼らはこれを流入部中隔(Inlet septum)と呼んだ。同じく右室流出路の中隔はそれまで円錐部中隔(Conus septum)と呼ばれることが多かったが、漏斗部中隔(Infundibular septum)に統一した。右室流入部と流出部の境の目印、円錐部乳頭筋(Papillary muscle of conus)は内乳頭筋(Medial papillary muscle)、室上稜(Crista supraventricularis)あるいは壁側筋束(Parietal band)は心室漏斗部筋層(あるいは皺曲)(Ventriculo- infundibular fold)と呼んだ。特に名称の変わったのは今まで右室流出部の中隔束(Septal band)から前乳頭筋にいたる仲介筋束(Moderater band)といっていた部分を、一括して中隔辺縁束(Trabecular septomarginalis)と呼んだことである。
 このように長年呼び慣れてきた心室各部の名称が大きく変わった中で、VSDの位置も全く違った名称で呼ばれるようになった。
 彼らはVSDをまず心臓の基部を構成する2つの線維輪に沿ったものと、線維輪から離れ筋性中隔にあるものの2つに分けた。これはBecuらがVSDを流出路型と流出路から離れた型とに分けたのによく似ている。さらに線維輪に沿ったVSDを大血管直下の漏斗部(Subarterial infunndibular)VSDと膜性部周辺(Perimembranous)VSDに分け、筋性部欠損そしてそれらの混合型を加え、4つの基本形に分けた(図4、表3)

SotoのVSD分類
図4 Soto分類7

表3 Soto分類と部位別標本数7
SotoのVSD分類

 まず膜性部欠損であるが、これはBecuやGoorも指摘したように、膜性中隔のみに留まることは少なく、そこから各方向に伸びることから、Sotoらはこれを膜性部周辺のVSD(Perimembranous VSD)と呼び、それぞれの伸びる方向から流入部、肉柱部、漏斗部の3つの亜型を区別した。同じく筋性部欠損も線維輪からは離れているが、流入部、肉中部、漏斗部の3亜型に分類した。これらのそれぞれの型のVSDについてイギリス、オランダ、アメリカの多施設で調べた220心標本から部位をあてはめてみた(表3)
 それによると過去の報告と同じように膜性部VSDが一番多く、次いで筋性部VSDが多かった。そして漏斗部VSDは筋性漏斗部のVSDを加えても、わずかに15例(6.8%)に過ぎなかった。これは猪俣の報告で見たように、東京女子医大の例では30.9%が漏斗部VSDであったのに比べると極めて少なかった。

 

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大動脈弁閉鎖不全が多いなぁ

 話は戻るが、正津先生の論文から芋づる式に手に入れたVSDに関する文献を読みながら、私は相変わらず心研の標本室に通ってVSDの解剖を調べていた。そんなある日、結果をまとめて今野先生のところに持っていくと、先生はそれを見て一言、「論文だね」といった。  数ヵ月後、私はVSDの外科解剖について小さな論文を書いた。今野先生は、その中のVSDの部位分類の図を自室に持っていった。数日後、私は見違えるようにきれいなイラストを渡された(図5-A)。それを加えて私は、「心室中隔欠損症の外科解剖」という題をつけ、1969年秋、医学雑誌「心臓」に投稿した8。それは今見ると本当に恥ずかしいくらい稚拙な内容であったが、中でひとつだけ後々参考になることがあった。それは、今までの病理解剖報告や今野先生9、正津先生1もそれぞれやっていたように、大動脈弁とVSDとの位置関係をかなり正確に図示したことであった(図5B)
 私は繰り返しVSDの標本を眺めていて、猪俣の指摘どおり、特に肺動脈弁の直ぐ下の漏斗部VSDに大動脈弁がはまり込んでいる例が多いと感じていた。中には今野先生が以前論文に書いたように9,10、大動脈の根元の部分のバルサルバ洞が右心室や右心房に大きく張り出して、その先端が破れそうになっているものも少なくなかった。

大動脈弁閉鎖不全が多いなぁ 大動脈弁閉鎖不全が多いなぁ
図5 A. 右室側から見たVSDの分類、    B. 左室側から見たVSDの分類

 同じような標本がたくさんあるなぁ。どうも外国の報告に比べてわれわれの標本では、肺動脈弁下VSDに大動脈弁の落ち込んで弁に閉鎖不全が生じているものが多いようだ。
 今野先生の論文10にも、VSDにバルサルバ洞動脈瘤が合併した場合、その発生過程で閉鎖不全が生じると書いてあった。よしひとつこのVSDに大動脈弁が落ち込んで(prolapse)大動脈弁閉鎖不全(AR)が発生するメカニズムを徹底的に調べてやろう、1970年の春、心研入局後3年目に私はこう決心した。

 

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解説

VSD:心室中隔欠損、Ventricular septal defect、心室中隔に先天的に孔の開いた病気。
室上稜:Crista Supraventricularis. 右室流出路の入り口にある中隔側の筋肉の隆起。これを境にして三尖弁側を右室流入部、肺動脈弁側を右室流出路という。室上稜は壁側束と中隔束に分けることできる。最近ではそれらをventriculo-infundibular fold(心室-漏斗部筋層(あるいは皺曲))ならびにseptomarginal trabeculae(中隔辺縁束)と呼ぶようになった。
三尖弁輪:三尖弁は右心房と右心室の境目にある血液の逆流防止弁である。前尖、中隔尖、後尖の三つの弁尖からなる。弁が付着しているリング状の部分を弁輪という。また弁の中央部分の自由縁(遊離縁)にはパラシュートの紐のような腱索がついていて、その反対側が右室心筋に付着している。
円錐部乳頭筋:右室漏斗部の中隔束(中隔辺縁束の後方部分)にある小さな乳頭筋。内乳頭筋とも呼ばれる。ここから短い腱索が三尖弁前尖と中隔尖の交連部に伸びている。心室流入部と漏斗部との境を示す目印になる。
肺動脈弁輪:肺動脈弁は肺動脈と右室漏斗部の境目にある逆流防止弁。三つの半月弁からなる。弁尖が付着している部分を肺動脈弁輪と呼び、弁輪の上が主肺動脈、下が右室漏斗部である。
膜性部VSD:漏斗部心室中隔、流入部心室中隔、三尖弁輪に挟まれた小さな膜様の中隔。
三尖弁輪が膜性中隔の真ん中を通るため、右心室-左心室間の膜性中隔と右心房-左心室の膜性中隔に分かれる。膜性中隔VSDは膜性中隔を中心としてその周辺の筋層が欠損したもので、膜性部周辺(perimembranous)VSDとも呼ばれている。また古くは室上稜下(infracristal=subcristal;posterior to the crista)VSDなどとも呼ばれた。
漏斗部VSD:肺動脈弁輪の下から膜性中隔の上まで、右心室の出口の部分の中隔を漏斗部心室中隔という。漏斗部VSDはこの中隔のどこにでもできるが、主にできやすいのは左右肺動脈尖の交連から膜性中隔に至る、後で述べる漏斗部ひだ(infundibular raphe)と呼ばれる浅い溝の部分あるいはそれより壁束(parietal bandまたはventriculo- infundibular fold)側にできるVSDである。このほかに漏斗部ひだより前方の中隔束(中隔辺縁束の前方)にできる欠損もある。前者は大動脈弁の逸脱に伴う閉鎖不全やファロー四徴などが合併することがあり、後者は大血管転位や両大血管右室起始、大動脈縮窄・離断などの複雑心奇形に合併することが多い。
房室中隔欠損型、心内膜床欠損型または共通房室口型VSD:三尖弁中隔尖の後尖よりの弁輪部近くにできるVSD11。この部分は流入部心室中隔ができる際に、胎生期の心内膜床という原基が共通房室弁口を三尖弁と僧帽弁の二つに最後に分ける部分である。この心内膜床は心房側にもあるため共通房室弁口が残ると、三尖弁、僧帽弁は二つに分かれず、心室中隔、心房中隔の両方に欠損が生じる。共通房室弁口のことを最近では房室中隔欠損とも言うため、房室中隔欠損(心内膜床欠損)型VSDのことを房室中隔欠損型VSDと呼ぶこともある。
無冠状動脈尖、右冠状動脈尖、左冠状動脈尖:大動脈弁は3つの半月形をした弁尖からなる。それぞれの弁尖には冠状動脈が開口しているかどうかで、無冠状動脈尖、右冠状動脈尖、左冠状動脈尖の名前がつけられている。
肺動脈弁の左尖:肺動脈弁は3つの半月型を下弁尖からなる。漏斗部中隔側には右尖と左尖があり、自由壁には前尖がある。
大動脈弓離断:大動脈弓が途中で途切れている疾患。途切れた場所によってA、B、Cの3型が区別されている。A型は左鎖骨下動脈の真下で大動脈が途切れたもの、B型は左鎖骨下動脈の上で左総頸動脈の間で途切れたもの、そしてC型は左総頸動脈の上で腕頭動脈の間で途切れたものである。しばしば心室中隔欠損を伴う。
大動脈縮窄:大動脈弓が途中で狭くなっている疾患。狭くなった場所によってA、B、Cの3型が区別されている。A型は左鎖骨下動脈の真下で大動脈が狭くなったもの、B型は左鎖骨下動脈の上で左総頸動脈の間で狭くなったもの、そしてC型は左総頸動脈の上で腕頭動脈の間で狭くなったものである。しばしば心室中隔欠損を伴う。
大動脈縮窄型のVSD:左肺動脈弁の弁輪部が左室側に落ち込み、漏斗部中隔に騎乗し、左室流出路狭窄を生じるVSDで、しばしば大動脈縮窄や離断に合併する。
僧帽弁の後内乳頭筋:僧帽弁は左心房と左心室の間の逆流防止弁である。前尖と後尖の二葉からなり、腱索が後内乳頭筋と前外乳頭筋につながる。後内乳頭筋は心室中隔の近くにあって、房室中隔欠損型VSDではその付着部あたりに欠損が生じる。
交差体外循環:1950年代の初め、Lelleheiらが小児の開心術のために応用した補助循環法。成人の大腿動脈から動脈血を取り出し、ポンプで子供の大動脈に送り込み、小児の大静脈から回収した静脈血をポンプで成人の大腿静脈に返す方法。ポンプを使うことから人工心肺と同じ原理であるが、肺を成人のものを使用することで、人工心肺と異なる。
ファロー四徴:1888年Fallot(ファロー)によって報告された最も一般的なチアノーゼのある先天性心臓疾患。四つの徴候とは、心室中隔欠損、肺動脈狭窄、大動脈の心室への騎乗、そして右心室の肥厚である。
房室中隔欠損:三尖弁と僧帽弁の弁輪が十分に分かれずに、二つの弁が共通になった心奇形.この場合心室中隔、心房中隔にも欠損があり、僧帽弁前尖に大きな亀裂が入るため、僧帽弁閉鎖不全を起こすことが多い。
線維輪:心臓には丈夫な繊維性の組織からなる線維輪があって、筋肉組織をしっかりとつなぎとめている。線維輪は右と左にあるが、右線維輪は僧帽弁と三尖弁それに無冠状動脈弁弁輪の間にあって、心臓の中心部分であるため、中心繊維体と呼ばれている。中心繊維体は膜性中隔から三尖弁中隔尖の弁輪にかけて特に発達している。左線維輪は肺動脈弁と大動脈弁をつないでおり、比較的小さい。
バルサルバ洞:大動脈の根元、大動脈弁が付いているところの直ぐ上の部分で、たまねぎのように外側に膨らんでいる。上半分は心臓から出ているが、下半分は心臓の筋肉で被われている。特に右冠状動脈尖の全体と無冠状動脈尖の付着部付近は、漏斗部中隔および心房中隔に接していて、ときどき右心室、右心房に動脈瘤のように膨れて、破裂することがある。これをバルサルバ洞動脈瘤破裂と呼んでいる。

 

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文献

  1. 正津晃、滝沢秀浩、井上正、心室中隔欠損症の外科解剖の研究 日本胸部外科学会雑誌1967;.15:887-894
  2. Becu , Fontana RS, DuShane JW, Kirklin JW, Burchell HB, Edwards JE.. Anatomic and pathologic studies in ventricular septal defect. Circulation 1956;14:349-364.
  3. Warden Surgical correction of ventricular septal defect: Anatomic and technical considerations. J Thorac Surg 1957;33:45-59.
  4. Warden HA, DeWall R, Cohen M, Varco RL, Lillehei CW. A surgical-pathologic classification for isolated ventricular septal defects and for those in Fallot’s tetralogy based on observations made on 120 patients during repair under direct vision. J Thorac Surg 1957;33:21-44.
  5. 猪俣和仁、心室中隔欠損症の研究 東京女子医科大学雑誌1959;29(9):757-773.
  6. Goor DA, Lillehei CW, Rees R, Edwards JE. Isolated ventricular septal defect. Developmental basis for various types and presentation of classification. Chest 1970;58:468.
  7. Soto, Surgical correction of ventricular septal defect: Anatomic and technical considerations. J Thorac Surg 1957;33:45-59.
  8. 龍野勝彦、今野草二:心室中隔欠損症の外科解剖、心臓1970;2:775-781.
  9. Sakakibara S, Konno S: Congenital aneurysm of the sinus of Valsalva. Anatomy and classification. Am Heart J 1962;63:405-424
  10. Sakakibara S, Konno S: Congenital aneurysm of the sinus of Valsalva. Associated with ventricular septal defect. Am Heart J 1968;75:595-603
  11. Neufeld HN, Titus JL, Dushane JW, Burchell HB, Edwards JE. Isolated ventricular septal defect of the persistent common atrioventricular canal type. Circulation 1961;23:685-696.

 

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2.最初の報告者、心臓の発生学へ

誰が初めに報告したのか

  心室中隔欠損(VSD)に大動脈弁が落ち込んで、弁の閉鎖不全(prolapsing AR)が起こる。そもそもこんなことを、誰が一番初めに見つけたのだろう。標本調べに夢中になっていた私にこんな疑問が生じた。
 1954のWoodらの論文12には、「1921年(フランスの)LaubryとPezziが、高位VSDに大動脈弁が引き込まれて閉鎖不全を起こした解剖例を報告した」と書かれていた。さらにその論文には、1933年Laubry, Routier, Soulié13により生前に心雑音で確認され、死亡後に解剖でVSDと大動脈弁閉鎖不全であること判った2例が報告されていることが述べられていた。
 1933年のLaubryらの論文のコピーが入手できた。フランス語は全く読めないが、その論文には、右冠状動脈弁と無冠状動脈弁の弁輪下のVSDに両方の弁尖が落ち込んでいる写真(図6)が載っていた。2つの弁尖には肥厚と変形があり、大動脈弁閉鎖不全があったことは疑いなかった。また右冠状動脈尖と無冠状動脈尖の直下にVSDがあることから、欠損が膜性部のものであることが分かった。

Laubryの報告
図6 Laubryの報告13にある解剖写真

 1962年フランスのPerrin14が同じような3症例の臨床と解剖を報告し、その論文の副題にこの疾患をLaubry Pezzi症候群と記載した。
 この時点で私は、LaubryとPezziの1921年の論文が一番古い報告かと思っていた。ところがある日、机の上に一篇の文献コピーが載っていた。その表紙に今野先生の字で、「バルサルバ洞動脈瘤+VSDと書いてあるが、よく読むとVSD+prolapsing ARの本当に最初のreport、発生機序についても考察している」と書かれていた。「今野先生も誰が最初の報告者か注目していたのだ。それにしても今度はドイツ語か」。そう思いながらドイツ語辞書を片手に、私はその論文を読み始めた。
 それは1905年にKarl Hart15が、雑誌Virchows Archivに発表した解剖報告であった。「右バルサルバ洞動脈瘤と上部心室中隔の関係について」と題されたその論文には、4例の解剖例が詳しく記載されていた。その3例目、23歳、酒場のボーイの例については、次のように書かれていた。
 「大動脈弁は閉鎖不全を起こしていた。右大動脈尖(=右冠状動脈尖)の下半分には半月状の心室間の交通孔があって、交通孔の上縁は弁の付着縁に接していた。開口部は膜様部の上の中隔全体を占め、下縁には右および後大動脈尖(=右冠状動脈尖および無冠状動脈尖)の付着部が一緒に引き込まれ、辺縁は著しく繊維化していた。欠損の上半分には、くるみ大の非常に薄く半透明な右バルサルバ洞の膨隆がみられ、左右肺動脈弁尖の直下に達していた。右大動脈尖は膨隆した洞とともに右下方に引き出されていた。」
 この記述は、大動脈弁とバルサルバ洞が一つながりになって右室側に逸脱していることを見事に表現していた。
 Hartの論文には、さらに古い1902年のKrausの論文16が引用されていた。ドイツの会社の人に、Krausの論文のコピーが入手できないだろうか聞いたところ、1ヶ月ほどしてそのコピーが届いた。
 それを見て私は飛び上がるほど驚いた。そこには鮮明な2枚の写真(図7-A,B)とともに、詳細な臨床と解剖の所見が述べられていた。

Kraus16が報告したバルサルバ洞動脈瘤の例

A. 右心室所見 B 左心室所見
図7 Kraus16が報告したバルサルバ洞動脈瘤の例

 Aの右心室側から見た写真では、VSDは肺動脈弁の直下から漏斗部中隔全体に及ぶ大きな欠損であり、そこから右冠状動脈尖のバルサルバ洞が動脈瘤状に突出していた。Bの左心室所見では、右冠状動脈尖の弁輪部全体がVSD内に落ち込んで、弁尖の遊離縁が垂れ下がっていた。
 これはまさに今野先生の仮説、「VSDにバルサルバ洞動脈瘤が起きる過程で、大動脈弁が欠損孔に引き込まれて閉鎖不全を起こす」を証明している、動かぬ証拠ではないか。
 KrausもHartもこの疾患の病態を極めて正確に記載しており、100年以上たった今でも、その内容は少しも輝きを失っていない。彼らこそVSD+prolapsing ARの最初の発見者だったに違いない。ただ惜しいことに、彼らの目が主にバルサルバ洞動脈瘤に注がれていた。もし彼らが、続発する大動脈弁のVSDへの逸脱と閉鎖不全に注目し、それらの間の因果関係について言及していたら、間違いなくこの二人の名前が、本症の最初の報告者に上げられに違いない。
 さらに論文を調べていくと、次のようなことが分かった。1958年Collinsら17が、VSD+ARに関して辿れた最も古いものは、1906年イタリアのBrecciaの論文18であったと報告していた。Brecciaの論文は「既往歴のない大動脈弁閉鎖不全を合併したRoger (心室中隔欠損)について」というものであった。さらに同じ1958年のScottらの論文19にも、最初の文献としてBrecciaの報告が上げられていた。残念ながら私はBrecciaの論文を入手できなかった。機会があれば、これがVSD+ prolapsing ARについて記述した最初の論文であるかどうか、ぜひこの目で確かめてみたい。

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心臓の発生

 VSDの存在部位を詳しく調べて行くと、どうしても心臓の成り立ち、特に右心室流出路の発生を勉強しなければならなくなる。高尾篤良先生から、1909年のLancetにAuthur. Keithの心臓の発生に関する論文2021があることを教えていただいた。
 それは1909年3月に開催されたイギリスのRoyal College of Surgeonsでの講演集であった。A. Keithはその論文の中で、心室と大動脈幹の中間にある心球(bulbus cordis)という部分が、胎児の発生の初期段階で心室に吸収され、変形していく様子を分かりやすい図で説明した(図8)
 これによると心球は発達するにつれて折れ曲がり、次第に心室の上壁と接するようになる。心室壁と接した心球の裏側は、心室壁と一体となって吸収されてなくなっていく。同時に心室中隔が次第に下から上に伸びて、心室を二つに分けると同時に、大動脈幹も大動脈と肺動脈に分かれると、その間に心室中隔が接触するように入ってくる。一方心球部にはこれとは別に、左右の壁から筋肉の高まりが次第に心球の中央に伸びてくる。やがてその筋肉束は、心球部の中央で完全に融合して流出路の中隔となり、心室から大動脈幹への出口を肺動脈と大動脈の二つに分ける。
 図9は、こうして出来上がった心臓を右心室側から示したものである。右室漏斗部中隔のAとBは、もともと心球部の左右の壁から伸びた筋肉束を示している。それらが右室漏斗部の中央で融合している接点が、縦に弓形の溝が描かれている。Keithはこの浅い溝をinfundibular raphe21(漏斗部ひだ)と呼んだ。この漏斗部ひだこそ、今後の研究に深く関りのある、肺動脈弁下の漏斗部VSDが頻発する部位である。

Laubryの報告
図8 心球と心室、大動脈幹の胎生期の発達(Keith20)

Laubryの報告
図9 右心室漏斗部中隔の解剖(Keith21)

 時代はずっと下って1961年、アメリカ国立心臓研究所のGrantら22は、「正常心臓とVSDのある心臓における右室流出路の構造」という論文を発表した。Grantらは酢酸溶液に心臓を浸し、沸騰する手前まで加熱して脂肪や繊維組織を軟らかくし、それらを取り除いたのち、徐々に濃度の高いアルコール液に漬けて筋肉から水分を抜くといった、かなり手間のかかる作業を行って、心筋組織のみの標本を作った。彼らはこの手法を15個の犬の心臓、7個の正常のひとの心臓、2個の総動脈幹を含む10個の心室中隔欠損の心臓に用いて、標本を作った。
 彼らは、それらの標本の右室流出路の中隔筋肉を一層ずつ慎重にはがして、それらの筋肉組織がどのように重なり、融合しながら発達したかを調べた。それによると、右室流出路筋層は融合して明瞭な分かれ目はないが、筋肉の走行から主に2つの層で構成されていることが分かった(図10)。第1層目は図10のFig 1に示したように、表在性の筋層で肺動脈弁から心尖部に向かって走行しており、収縮期に右室流出路を縦に収縮させる役割りを担っていると考えられた。第2層目はFig 2に示したように横に走行しており、収縮により流出路を狭くする働きがあると考えられた。

Laubryの報告
図10 Grantら22の筋肉心標本

 第1層は3つの筋肉部分で構成されていた。それらは、肺動脈弁の後尖弁輪の左側から心尖部方向に伸びる中隔束septal bandと、肺動脈弁輪右側から三尖弁前尖弁輪に向けて伸びる壁束parietal band、そして3番目の構成部分として肺動脈弁輪の右側から出て、室上稜の中を斜め左下にくぐって、大部分が仲介束(moderator band)に合流する斜成分(oblique component、図10、Fig 1の2の部分)であった。仲介束は第2層の一部からも筋肉を受けており、合計3層になっているが、斜成分がそのうち最も大きい構成成分であった。仲介束は三尖弁の前尖の乳頭筋につながっており、また刺激伝導系の右脚が筋肉内を走行しているため、右心室の収縮の際に三尖弁の閉まり具合も調節している。このように、仲介束は右心室全体の収縮の要の部分にあることで、moderatorと呼ばれているのかもしれない。
 出来上がった心臓でも漏斗部中隔の中央に、Keithが「infundibular raphe(漏斗部ひだ)」と呼んだ、浅い縦溝が見られることがある。多分中隔束と壁束は、発生学者らが言う胎生期に球部の壁から出た筋肉の突起(bulbar ridges)の跡であり、恐らく漏斗部ひだはその融合部を示しているのではないだろうか。
 第2層の筋肉は、図10のFig 2にあるように、膜性部と大動脈-肺動脈腱索から左外側に伸び、一部仲介束に筋肉を送るが、大部分は右心室の自由壁につながっている。第2層の下は左心室の螺旋状筋であるが、2層との間を明確に分けることはできない。
 漏斗部VSDでは、第2層の特定の筋肉構成部分の存否が、欠損の位置と大動脈基部との関係を支配している。深部の構成部分が欠損すると、大動脈弁は左室側の中隔と接する手がかりを失い、右心室側の筋肉に付着してしまい、結果として右心室から大動脈が出ている形になる。そのよい例がファロー四徴や両大血管右室起始である。
 Grantの記述から推測すると、漏斗部VSDに大動脈弁が逸脱するのは、漏斗部の深部の構成部分が一部欠損したため、大動脈弁は大部分左心室側の中隔に接する手がかりは得たものの、漏斗部筋肉の欠損により、弁輪部からバルサルバ洞にかけて部分的に右室側からの支えを失ったために生じるということになる。

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解説

大動脈弁の落ち込みと閉鎖不全:大動脈弁の下半分、弁輪部とバルサルバ洞の一部がVSDに引き込まれるように落ち込むことを弁の逸脱(prolapse)という。これを右心室側からみると、大動脈弁がVSDの中を右室に向かってとび出しているように見える。 大動脈弁の下半分がVSDにprolapseするとその弁尖の自由縁も下がって、他の2つの弁尖と高さが合わなくなる。それによって弁は拡張期に完全に閉まらなくなり、閉鎖不全(aortic regurgitation=AR)が起きる。これを弁の逸脱による閉鎖不全(prolapsing AR)という。
高位VSD:左心室側から見て大動脈弁に接する欠損を高位VSDという。これは右室側から見ると、肺動脈弁下の漏斗部VSD~房室中隔欠損型(心内膜床欠損型)VSDまでを含む。これに対して心尖部や心室中隔の中下部にある欠損を下位VSDとはいわず、それぞれ洞部中隔欠損(sinus septal defect)、筋性中隔欠損(muscular VSD)とか筋束中隔欠損(trabeculated septal defect)などと呼んでいる。
動脈管開存:胎生期に肺動脈分岐部と下行大動脈の間をつなぐ血管で、肺動脈血液を大動脈に流している。通常は誕生とともに肺循環が開始されるため自然閉鎖するが、閉鎖しない場合は、大動脈から肺動脈へ血液が逆流するため、肺うっ血を起こすことがある。雑音が連続性のことが多く、昔は、往復性雑音のあるVSD+ARを動脈管開存と間違えて診断することが多かった。
大動脈幹:胎生期の大動脈と肺動脈が分かれる前の太い動脈血管
中隔束:Levによれば中隔束septal band、Andersonによればこの部分から心尖部にいたる筋肉柱の中隔全体が中隔辺縁束septomarginal trabeculaeの名称になる。
壁束:Levによれば壁束parietal band、また壁束の中隔束側の部分を室上稜crista supraventricularisと呼んでいる。Andersonは心室漏斗部筋層ventriculo- infundibular foldと呼んでいる。
刺激伝導系の右脚:心臓内を流れる微弱な電気の通り道を刺激伝導系という。洞結節から心房内を流れた電流は、右心房の底で房室結節と呼ばれる電気の集積所に集められる。そこからヒス束というやや太い伝導系を通って左心室側に入り、左脚を出した後、右脚として右心室に分布する。電気はこの順に流れて、心室全体に行き渡る。
大動脈-肺動脈腱索:Aortic-pulmonary tendon、左線維輪とも呼ばれる。膜性部から大動脈-肺動脈弁輪にいたる繊維性の結合織。
両大血管右室起始:肺動脈、大動脈がともに心室中隔を越えて、右心室に移動した先天性心疾患。大きな心室中隔欠損があり、肺動脈狭窄を伴うものと肺動脈狭窄がなく肺高血圧を伴うものがある。肺動脈と大動脈の位置は、定位置のものと逆転(転位)したものがある。

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文献

12. Wood P, Magidson O, Wilson AO. Ventricular septal defect. With a note on acyanotic Fallot’s tetralogy. Brit Heart J 1954;16-387-406.
13. Laubry C, Routier D, Soulié P. Les souffles de la maladie de Roger. Rev de Méd. Paris, 1933;50:439-448.
14. Perrin A, Aerichidé N, Gravier J, Cahen P, Froment R. Les communications interventriculaires avec insuffisance aortique (Syndrome de Laubry et Pezzi). A prppos de 3 observations anatomo-cliniques personnelles. Arch.des Mal. Du coeur. 1962;55:289-310.
15. Hart K. Uber das Aneurysma des rechten Sinus Valsalvae der Aorta und seine BeziehungenzumoberenVentrikelseptum. Virchows Arch 1905;182:167-178.
16. Kraus Fr. Ueber wahres Aneurysma des Sinus Valsalvae aortae dexter. Berlin Klin Wochenschr. 1902;50:1161-1164.
17. Collins DM, East T, Godfrey MP, Harris P, Oram S. Ventricular septal defect with pulmonary stenosis and aortic insufficiency. Brit Heart J. 1958;20:363-369.
18. Breccia G. Sopra un caso di del Roger complicato con insufficienza aortica, decorso senza sintomi. Gazz d Osp Milano 1906;27:625.( Scott RC, et al19より引用)
19. Scott RC, McGuire J, Kaplan S, Fowler NO, Green RS, Gordon LZ, Shabetai R, Davolos DD. The syndrome of ventricular septal defect with aortic insufficiency. Am J Cardiol 1958;2:530-553.
20. Keith A. The Hunterian lectures on malformations of the heart. Lecture I. Lancet, 1909;2:359-432.
21. Keith A. The Hunterian lectures on malformations of the heart. Lecture III. Lancet, 1909;2:519-523.
22. Grant RP, Downey FM, MacMahon H. The architecture of the right ventricular outflow tract in the normal human heart and in the presence of ventricular septal defects. Circulation 1961;24:223-235.

 

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3.診断をつける

疾患の確立

 1933年のLaubryとPezzi以後も、Taussigら23、Souliéら24によってVSD+ARの論文が発表された。しかしこれらはいずれも解剖によって診断された例であった。1950年代初めまで本症は、動脈管開存と間違われることが多かった。生前にVSD+ARが診断されたのは、1954年のWoodら12と1955年のJan Philipsonら25が始めてであった。
 Philipsonらは、20歳から26歳までの男性4例に本症の臨床診断を行ったが、そのうちの2人には右心カテーテル検査と上行大動脈造影を行い、診断を確定した。彼らも臨床診断だけだと、本症を動脈管開存や大動脈中隔欠損、それにバルサルバ洞動脈瘤の破裂と間違う可能性を指摘した。
 1958年Collinsら17は、20歳から27歳の肺動脈狭窄を伴う3例のVSD+ARの症例を報告した。心臓カテーテル検査で右室流出路において血中酸素含有量の増加を認め、動脈管開存と診断して手術を行った。しかしどちらの患者も動脈管開存は見つからなかった。3例目は肺動脈楔入圧が高かったことから、大動脈弁閉鎖不全による左心不全があると考え、右室流出狭窄を伴うVSD+ARと診断した。
  当時、本症がしばしば動脈管開存と間違われたのは、VSD+ARが独立した疾患として小児科や内科の医師に十分理解されてなかったことにもよる。
  1958年にオハイオ州シンシナッティのScottら19は、この疾患を初めて症候群として捉えた論文を発表した。フランスのPerrin14がLaubry Pezzi症候群と名づける4年前のことである。彼らは、7例の自験例について臨床経過と心臓カテーテル検査結果を述べ、そのうちの1例については、剖検で無冠動脈弁が膜性部VSDに逸脱していたことを示した(図11)。さらに彼らは、1906年のBreccia18以後に報告された剖検例22例の臨床的な経過や検査結果、VSDおよび大動脈弁の関連などを詳しく調べ、検討した。
 

左心室所見 右心室所見(三尖弁を持ち上げている)
A 左心室所見 B 右心室所見(三尖弁を持ち上げている)
図11 Scottら19の症例1の解剖所見

その結果、本症はVSDとARが偶然合併したものでなく、互いに関連を持って生じた症候群であることを明らかにした。この報告以後、本症は一つの独立した疾患であると認識され、次第にまとまった症例報告が出されるようになった。

 

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診断をどうつけるか

 1950年代から1960年代前半にかけては、心臓血管カテーテル検査や造影検査などの診断技術、それに人工心肺を初めとする心臓手術の手段が次々と開発され、心臓病の診断法と治療法が目覚しく発展した。これらの技術は、当然、小児心疾患の診断と治療にも応用された。
 1958年フィラデルフィアのDentonとPappas26は、3例のVSD+AR症例を報告した。その3例目の大動脈造影側面像で彼らは、大動脈から左室へ造影剤の漏れがあると述べた。その写真をよく見れば、右冠状動脈尖の右室流出路への逸脱も認められた。
 メイヨークリニックのKeckら27は、1963年、18例の本症を報告した。翌1964年には、ハーバード大学ボストン小児病院のNadasら28も34例の本症患者の臨床経過と病理解剖所見を報告した。これらはそれまでのどの論文よりも症例数が多かった。
 Keckらは、本症を肺動脈狭窄のあるものとないものの二つに分けて論じた。後で述べるように、欧米の報告では膜性部VSDにARが合併する比率が高く(いわゆる欧米型のVSD+AR)、その場合、しばしば漏斗部狭窄が伴う(図12-A)。この論文でも2歳から32歳までの18例は全て膜性部VSDと記載されている。この論文では18例すべてについてカテーテル検査の結果が記載されており、VSDと大動脈弁の形態についても手術あるいは解剖で確認されていた。

VSD+ARと漏斗部狭窄 上行大動脈造影
A VSD+ARと漏斗部狭窄 B 上行大動脈造影
図12 Keckら27の症例

またそのうちの7例では、上行大動脈造影で大動脈弁の逆流が確かめられており、鮮明な上行大動脈造影(図12-B)も示されていた。
 Nadasらは、1948年から1962年までに経験した、初診時年齢が2ヶ月から18歳までの34例のVSD+ARについて報告した。これは、同じ時期のVSD単独例756例の5%にあたった。彼らは、これら症例について長期経過を観察し、解剖例から病型の分類を行ない、本症の発生メカニズムについて考察を加えた。
 それによると、VSDは1歳以下で発見されることが多いが、ARは多くの場合2~10歳の間にみられる。こうしたことから本症が進行性の疾患であり、特にARが発症すると1~3年で病状が急速に進行するとした。Nadasらは本症の特色を(1)VSDを通る左右短絡量は多くない、(2)中等度の右室流出路狭窄が全症例の50%にあり、多くは漏斗部狭窄であるが、大動脈弁が右心室に張り出して狭窄を作ることもある、(3)シネ大動脈造影で大動脈弁に逆流が見られるとした。
 また解剖症例7例のVSDの位置から、本症をⅠ群(4例)とⅡ群(3例)に分類した(図13)。Ⅰ群は膜性部VSDであり、Ⅱ群は漏斗部VSDである。Ⅰ群のVSDでは右冠状動脈尖と無冠状動脈尖の一部が逸脱するが、Ⅱ群では主に右冠状動脈尖が落ち込み、無冠状動脈尖の逸脱は殆ど見られなかった。

図13 Nadas らによるVSDの位置によるVSD+ARの分類
図13 NadasらによるVSDの位置によるVSD+ARの分類
A:I群、膜性部VSD  B:II群、漏斗部VSD

 彼らは本症の発生メカニズムについて、大動脈弁輪は膜性中隔と漏斗部中隔の接合部で支えられているので、大動脈が反時計方向に30~40度回転すると、室上稜が前左方に移動し、弁輪が移動して、ARが起きやすくなると述べた。当時、大動脈弁がVSDに逸脱する理由を大動脈の軸回転で説明しようという考え方23があり、Nadasもそれを踏襲したものと思われる。この論文でNadasは、右室漏斗部狭窄とVSDの位置とは無関係であるとしたが、膜性部VSDに伴うARではしばしば右室漏斗部狭窄が伴いことは、後の報告55でも指摘された。
 Nadasはさらに、論文中にメキシコの国立心臓研究所のMaria de la Cruzの次のような言葉を引用している。「生まれたてのひよこで実験的に肺動脈弁下のVSDを作ると、右冠状動脈尖のVSDへの逸脱を生じることがある」。
 このようにKeckならびにNadasの論文は、その後われわれが本症の臨床診断や発生のメカニズム、治療方針を考える上で、重要な手がかりを与えてくれた。
 1965年にHalloranら29は、12例のVSD+ARの症例を基に本症の自然歴を考察した。彼らの症例では、2例を除いて小児期に疾患の進行を認めず、ほとんどの例で20~30歳台で主に細菌性心内膜炎が原因で死亡した。この経過はNadasらのものとほぼ同じであり、本症がもともとあったVSDに大動脈弁が逸脱してARが合併し、やがて重症化するという進行性の疾患であることを追認したものであった。

 

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解説

上行大動脈造影大腿動脈からカテーテルを心臓に向けて先端が上行大動脈に届くまで挿入し、そこで造影剤を流して写真撮影する診断法。昔、撮影は映画の場合(シネ撮影)と一枚ずつ大きなフィルムで撮影する場合があったが、今ではデジタル録画が主流になった。
大動脈中隔欠損上行大動脈と主肺動脈の間の交通孔のある先天性の心臓病。欠損孔を通って大動脈から肺動脈へ大量の血液が流れるため、多くの場合乳児期に肺動脈圧が高くなり、心不全を起こす。
肺動脈狭窄右室出口から肺動脈にかけて内腔が狭くなる先天性心臓病。肺動脈自体の狭窄、肺動脈弁の狭窄、右室漏斗部の狭窄、それに右室流出路全体の狭窄がある。
血中酸素含有量血液中に含まれる酸素の量。
肺動脈楔入圧肺動脈の末梢まで、先端に孔の開いたカテーテルを挿入して測定した圧力。肺静脈、左心房の圧を反映していると考えられている。
欧米型のVSD+ARVSD+ARを日本と欧米の報告で比較したところ、VSDの位置が欧米では膜様部VSDが多く、反対に日本では肺動脈弁下漏斗部VSDが圧倒的に多かった。このことから膜様部VSD+ARを欧米型と呼び、肺動脈弁下VSD+ARを日本型と呼ぶようになった。

 

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文献

23. Taussig HB, Semans JH. Severe aortic insufficiency in association with a congenital malformation of the heart of the Eisenmenger type. Bull Johns Hopkins Hosp. 1940;66:156-164
24. Soulié P, Routier D, Bernal P. Communication interventriculaire avec insuffisance aortique (Diagnostic differentiel de la persistence du canal artériel). Arch Mal Coeur. 1949;42:65.(Philipson J, Saltzman GF25より引用)
25. Philipson J, Saltzman GF. Combined ventricular septal defect and aortic insuffici- ency. Acta Radiol 1955;44:269-280.
26. Denton C, Pappas EG. Ventricular septal defect and aortic insufficiency. Report of three cases. Am J cardiol 1958;2:554-562.
27. Kech EWO, Ongley PA, Kincaid OW, Swan HJC. Ventricular septal defect with aortic insufficiency. A clinical and hemodynamic study of 18 proved cases. Circulation 1963;27:203-218.
28. Nadas AS, Thilenius OG, LaFarge CG, Hauck AJ. Ventricular septal defect with aortic regurgitation. Medical and pathologic aspects. Circulation 1964;29:862-873.
29. Halloran KH, Talner NS, Browne MJ. A study of ventricular septal defect associated with aortic insufficiency. Am. Heart J 1965;69:320-326.

 

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4.漏斗部心室中隔欠損に注目

 肺動脈弁下の漏斗部VSDに大動脈弁が逸脱(prolapse)してARが生じることは、以前から知られていた30。ただ欧米では膜性部VSDにARが伴う比率が高いので、漏斗部VSDについてはあまり注目されていなかった。しかしNadasら28が、7例の本症の解剖例中3例が漏斗部VSDであったと報告し、VSD+ARの分類に漏斗部VSDを加えたことから、肺動脈弁下の漏斗部VSDの重要性が認識されるようになった。
 ストックホルムのCarlssonら31は1964年、3歳の女児の漏斗部VSDに右冠状動脈弁が落ち込み、右室流出路に大きく突出して狭窄を起こし、ARが発生したことを報告した。
 1966年、ニューオーリンズのReynolds32は、7歳の少年が心臓カテーテル検査で肺動脈弁下のVSDと診断され、手術により漏斗部欠損が確認され、閉鎖されたことを報告した。この例では、収縮期心雑音の最強点が胸骨左縁の第2肋間にあり、胸骨上窩に放散していた。それまでは膜性部VSD+ARの報告が多かったので、収縮期雑音の最強点は第3肋間より下にあるとされていた。しかしReynoldsは、Hollmanらの論文33を引用しながら、肺動脈弁下のVSDでは、胸骨左縁、第1ないし第2肋間に震顫(thrill)を伴う強い収縮期雑音があることが診断の決め手であるとした。さらに大動脈弁がprolapseした症例でも、Keckらの論文27にあるように、第2肋間に収縮期雑音の最強点があるとした。
 わが国でも1968年に京都大学の阿部弘毅ら34が、「室上稜上部心室中隔欠損の手術症例について」という論文の中で、17例の漏斗部VSDのうち1例に大動脈弁のprolapseによるARがあったと報告している。この論文で阿部らは、「通常VSDに特徴的な収縮期雑音は第4肋間胸骨左縁に最強点を有するが、室上稜上欠損では肺動脈弁口領域あるいは第3肋間に雑音の最強点を有することが多い、われわれの17例でも11例に肺動脈弁口領域あるいは第3肋間に最強点を有する雑音を聴取した」と述べている。
 チリ、サンチャゴ大学のFarrúら35は、1971年、漏斗部VSDの聴診と心音図所見の特色を報告した。彼らは9~20歳の6例の漏斗部VSD患者に、心音図、心臓カテーテル検査を含む検査を行なった。そのうちARを有する3例には逆行性大動脈造影を行ない、3例は手術をし、1例では解剖を行った。心音図では、6例すべてが第2肋間に最強点を持つ汎収縮期性雑音であり、特に収縮期の後半に雑音が強まる傾向があった。彼はこの理由を、漏斗部は遅れて収縮するので収縮期の後半ほど欠損が小さくなるため、雑音が強まると説明した。
 Farrúらはさらに、本症の発生機序について次のように述べている。「大動脈弁がVSDにprolapseするのは、欠損を通る左右短絡血流により大動脈弁が逸脱するからである。そして大動脈弁逆流は解剖学的に大動脈弁の支持が失われたところに、後天的な血流作用が加わって生じるのである。」
 1972年、ニューヨーク市立大学のSteinfeldら36も7例の肺動脈弁下VSDについて心音図、大動脈造影などで診断し、6例に手術を行ったことを報告した。その中でSteinfeldらは、膜性部あるいは筋性部のVSDの心音では、雑音の最強点が左第2~4肋間にあって、前胸部のさまざまな方向に伝わり、その性質は粗く、収縮の始まりから収縮期全体あるいはそれに近く、一定の強さであることが多い。それに対して肺動脈弁下VSDの心音は、粗く大きいことは同じだが最強点は左第2肋間にあって、胸部表面に限局的で上向きに放散すること、音は収縮期全体にわたるが収縮期中期から後半に増大・すると述べた。
 Steinfeldらは左室造影についても詳述した。彼らは、左室造影の側面像で三角形の血流ジェットが左心室から右室漏斗部に吹き出し、それによってバルサルバ洞の下端がVSDを通して右心室側に引き込まれていることを示した。Steinfeldらは、たとえ無症状の小さなVSDであっても心音で漏斗部欠損が疑われる場合は、大動脈弁のprolapseによるARに発展することもあるので、速やかに左室造影、大動脈造影を行うべきであると述べた。

 

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解説

胸骨上窩胸の正面にある胸骨を上にたどると、首との境に柔らかく凹んだ部分がある。この部分を胸骨上窩という。
震顫(thrill)血液が心室中隔欠損を通って、勢いよく右心室あるいは肺動脈の基部に当たると、胸に触っただけで、手に小さく震えるような感覚が伝わる。この手に感じる震えのことを震顫(thrill)という。

 

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文献

30. Ellis Jr H, Ongley PA, Kirklin JW. Ventricular septal defect with aortic incompetence. Surgical considerations. Circulation 1963;27:789-795.
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5.心臓血管造影診断

造影診断の発達

 既に述べたように、本症に上行大動脈造影を最初に行なったのは、1955年、スウェーデンのJan PhilipsonとSaltzman25であると思われる。彼らは、本症の診断は臨床データと胸部レントゲン所見の組み合わせでできるとしたが、さらに上行大動脈の造影を行なって診断を確定した。
 1958年、DentonとPappas26は、きれいな上行大動脈造影を示し(図14)、造影剤が大動脈から左心室に逆流していることを示した。この写真では右冠状動脈尖の右室側へのprolapseも認められる。
 1963年、Mayo ClinicのKeckら27も本症に大動脈造影を行った。彼らは、ARは認めたが、それが後方に向かっていたことから、右冠状動脈尖のprolapseがあることを推測するに留まった。またBostonのNadasら28も1964年、シネ大動脈造影を行った。論文には触れられていないが、その造影では右冠状動脈尖にprolapseが認められた(図15の矢印)。

上行大動脈造影 大動脈造影
図14 Dentonら26の上行大動脈造影 図15 Nadasら28の大動脈造影

 一方、Craenenら37は1967年、小さなVSDの診断に左室造影シネ撮影と色素希釈法を行い、両者を比較した。シネ造影は色素希釈法より精度は良いが、小さな短絡のVSDにはこれらを組み合わせて用いるのがよいとした。
 1968年、聖隷浜松病院の大澤ら38は、比較的小さなVSD50例に対して左室造影を行い、欠損を通る造影剤の方向からVSDの位置を診断した(図16)。この中で大澤らは、4歳の漏斗部VSD+ARと9歳の膜性部VSD+ARの大動脈造影写真(図17)を示して、肺高血圧がなく大動脈弁逆流が考えられるVSDでは、左室と大動脈弁上での造影を併せて行う必要があると述べている。大澤らが指摘したもう一つの重要な点は、ARのない大動脈弁の変形が左室造影で発見できることがあるとしたことである。ARが発生する前に大動脈弁のprolapseを見つけられれば、外科治療の成功率は飛躍的に向上する。

左室造影でのVSDの位置
図16 大澤ら38による左室造影でのVSDの位置
C:漏斗部VSD、M:膜性部VSD、MS:筋性部VSD


大澤らの2例の大動脈造影
図17 大澤らの2例の大動脈造影
左は4歳の肺動脈弁下VSD、右は9歳の膜性部VSDの造影

 1969年、ロンドンの王立医学大学院のHallidie-Smithら39は24例の本症に大動脈造影を行い、その内13例にはシネ撮影を用いた。彼らはprolapseした右冠状動脈尖とバルサルバ洞が心室収縮期と拡張期で、右室内で動くことを示し、その理由を説明した(図18)。彼らによれば、拡張期には大動脈弁とバルサルバ洞がイチゴ状の突出を示し、収縮期には弁がより変形し、造影剤が残る傾向があるということであった。

大動脈造影所見と説明図
図18 Hallidie-Smithら39の大動脈造影所見と説明図

 同じ1969年、イスラエル、テルアビブ医科大学のDeutschら40,41は8例の本症に大動脈造影を行った。そのうちの半数以上は右冠状動脈尖にprolapseがあり、側面像で拡張したバルサルバ洞と上行大動脈との移行部が特徴的な階段状を呈していた(図19左矢印)。この拡張した洞は収縮期に下方に向かい、前方に突出するが、拡張期に最も著明になる。また3例には無冠状動脈尖のprolapseがあり、ポケット状に造影剤が残ることを示した(図19右矢印)

大動脈造影
図19 Deutchら40,41の大動脈造影
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女子医大心研での造影診断

 1971年、私は東京女子医大心研の心臓カテーテル検査室の室長を命ぜられた。それまで標本室にこもって心臓の解剖標本ばかり見ていた私が、今度は一転して患者さんにカテーテル検査をする立場になった。標本室に出入りしていたときから私は、どのようにして大動脈弁が心室中隔欠損に落ち込み、閉鎖不全が生じるのか、何とか患者さんで確かめたいと思っていた。だからカテーテル室勤務は、まさに渡りに船だった。
カテーテル室に移った私は、過去のVSD+AR手術例で術前に大動脈造影を行ったものをくまなく調べた。手術記録からVSDの位置を確かめ、大動脈造影写真を見て大動脈弁のどこに変形があるかを細かく観察した。その結果、大澤らと同じように、VSDの位置と大動脈のprolapseした部位には一定の関係があることが分かった。それを医学雑誌42、43に投稿した。1973年の論文43では、67例ついてVSDの位置と大動脈弁のprolapseする場所との関係を明らかにし、VSD+ARの新しい分類を提示した(図20、図22)

漏斗部VSDの右室所見 左室所見
A 漏斗部VSDの右室所見 B 左室所見
膜性部VSDの右室所見 左室所見
C 膜性部VSDの右室所見 D 左室所見
図20 VSD+ARのVSD部位別分類(Tatsuno43による)


 図20は右室側と左室側からみたVSDの部位を示している。AとBは肺動脈弁直下VSDであるが、これを大動脈造影で確かめると(図21)、右冠状動脈尖のprolapseした先端の位置が、常にバルサルバ洞の中間の高さにあった。一方CとDの膜性部VSDでは、右冠状動脈尖と無冠状動脈尖がprolapseした先端は、バルサルバ洞の下端より下方にあり、両者の突出位置に明らかな違いが見られた。

VSDの位置による大動脈弁の逸脱部位の違い
図21 VSDの位置による大動脈弁の逸脱部位の違い
左:Type Iaの突出部位 右:Type IIaの突出部位


これらをまとめると、弁の突出部位とVSDの位置との関係は図22のようになる。

大動脈造影の弁尖逸脱部位から見た分類
図22 大動脈造影の弁尖逸脱部位から見た分類


大澤らが提唱した、大動脈造影の大動脈弁の逸脱部位からVSDの位置を推定する方法は、このようして明確に示された。

心臓カテーテル検査室での本症についての研究はさらに続けられた。それは大動脈弁が、VSDの短絡血流によってどのように動きprolaspseするのか、その結果、どの時点で弁に逆流が生じるのか。こうしたことが画像で確かめられれば、VSD+prolapsing ARの発生メカニズムは解明されることになるからである。
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文献

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6.VSD+ARの発生のメカニズム

VSDになぜ大動脈弁が逸脱してARが起きるのか-1

 大動脈弁がVSDを通して右心室に逸脱しARが発生するメカニズムについては、かなり古くから論議が交わされていた。1905年のKarl Hartの論文15には、「右バルサルバ洞と右冠状動脈尖の下半分が半月状の心室中隔欠損を通して膜様部より上の左右肺動脈弁尖の直下に瘤状に引き出され、右冠状動脈尖は洞の膨隆とともに右下方に引き出されていた」と述べられていた。この記述は大動脈弁とバルサルバ洞が一つながりの構造をしていて、両者が右室側に逸脱していたことを端的に表現している。
 Wood12によれば、1921年LaubryとPezziが、高位VSDに大動脈弁のひとつが引き込まれて閉鎖不全を起こした解剖例を報告したとされている。1933年の報告例13を見る限り、大動脈弁がVSDに逸脱したためにARが生じていたことは明らかである。
 その後アメリカの研究者たちは、大動脈弁がVSDにprolapseする理由を大動脈の中隔への騎乗と軸回転によるとする考え方に傾いていった。TaussigとSemans23は1940年、7歳のEisenmenger型VSDにARを生じた1例を報告した。この患者では大動脈弁が心室中隔に騎乗し、右心室側に張り出していた。
 SelzerとLaqueur44は1951年、Eizenmenger複合の解剖例からそれをA、B、Cの3群に分け、C群を大動脈弁の変形のあるものとした。C群は大動脈弁が心室中隔に軽度騎乗したもので、大動脈弁閉鎖不全が生じるとした。SelzerらはEisenmenger型VSDで右室圧が左室圧より低い場合は、渦流が右心室血液をねじ曲げながら大動脈へ流れていくため、Wiggersの教科書45に記載されたベンチュリー現象が生じ、大動脈弁がVSDに逸脱すると推測した。
 Selzerらは続けて、VSD+ARの解剖例はEisenmenger型VSDであるが、大動脈弁逆流により心臓が反時計方向に回転したために、大動脈の心室中隔への騎乗の度合いが修正され、左右短絡になったと述べている。
 他にも多くの研究者46-50が本症でEisenmenger型VSDを有する症例を報告している。Nadasら28も本症には特有の大動脈の軸回転があると述べている。しかしScott19によれば右冠状動脈尖が心室中隔に騎乗することは、Becu2らも指摘しているとおり、この形のVSDでは普通のことであり、VSD+ARの亜型に分類するほどではないと述べている。
 1959年南アフリカ、ケープタウンのNellenら51は、15歳の少年の1例と、それまで報告された46例のVSD+AR例を見直して、次のように述べた。「この症例では大動脈弁が欠損にかぶさるように逸脱し、(遊離縁が)わずかに低くなり、肥厚、瘢痕化し、中空にぶら下がった状態になったため、大動脈弁閉鎖不全が生じたのである。(中略)、さらに弁が下方に引っ張られたのは、弁直下の欠損を左心室から右心室へ通り抜ける血液のジェット流のベンチュリー効果による」。Nellenのこの説明はSelzerのそれよりも具体的で、本症の発生メカニズムを血行動態的に明快に説明している。
 1950年の後半になると人工心肺の改良により、VSDの手術も徐々に安全に行われるようになった。VSDの手術が多く行われれば当然、VSD+ARをどう治すかが問題になる。1962年ジョンス・ホプキンス大学のSpencerら52は、本症は大動脈弁遊離縁垂れ下がったために生じたのであるから、VSDを閉じても閉鎖不全を治すことはできないと述べた。彼らは伸びきった弁遊離縁を短縮する弁形成法が有効であることを示唆した。
 一方、ニューヨーク、モンテフィオーレ病院のRobinsonら53は、肺動脈弁下VSD(彼らは膜性部といっている)に大動脈弁がprolapseした一例を図で示しながら(図23)、それをアイバロン・スポンジで閉じてARが抑えられた12歳の少年の例を報告した。その論文でRobinsonはARの発生機序を次のように述べている。動脈瘤のように膨らんだ大動脈弁が拡張期に下垂して心室間交通を閉鎖する。その結果大動脈弁のアランチウス体と3弁尖の遊離縁の同じ高さでの対峙が失われ、一つの弁尖が支えを失って隣り合う弁尖よりレベルが低くなり、ARが生じるのである。
Robinsonら53の説明 Robinsonら53の説明
図23 Robinsonら53の説明

 本症の発生メカニズムの全体像が未だ十分把握されていない時期に、これら二つの報告は病態を極めて正しく捉えていたといえる。
 後で詳しく述べるが、VSDにARが生じるメカニズムはかなり多彩である。大動脈弁の交連部の形成不全による二尖弁もARを発生する要因のひとつである。またVSD+ARで特に多いのは、肺動脈弁下VSDでの大動脈弁の落ち込みによるものであるが、これは次のように進行する。漏斗部筋層の支持を失った大動脈弁輪部がバルサルバ洞の一部とともに、主に収縮期の短絡血流や大動脈の側圧でVSDへprolapseする。それとともに拡張期の大動脈圧によって遊離縁の延長が起こり、弁の対峙が失われると、逆流が生じる。その後は弁逆流を交え、これらの血流作用がすべて関与して弁遊離縁を肥厚させ、弁尖を萎縮させ、弁高を短縮させる。
 こうしたメカニズムからいえば、Robinsonらの例は発生の比較的初期にあったと思われ、Spencerらは遊離縁が延びきって、もはやprolapseした弁輪部を左心室側に押し込んでもARが治らない状態の症例を示したことになる。
 すでに述べたように、Nadasら28は本症の発生メカニズムについて、大動脈が反時計方向に30~40度回転し、室上稜が前左方に移動していることを上げている。さらに、「生まれたてのひよこで実験的に肺動脈弁下のVSDを作ると、右冠状動脈尖の欠損への逸脱を生じることがある」という、メキシコの国立心臓研究所のMaria de la Cruzの言葉を引用している。
 一方、東京女子医科大学の榊原と今野11は、1968年、バルサルバ洞動脈瘤の手術例55例と15例の剖検例の研究から次のような結論を得た。VSDを伴うバルサルバ洞動脈瘤は初め小さな突出であるが、比較的早い時期からARが出現する。洞瘤は成長とともに大きくなり、弁逆流も次第に強まる。そして最終的にはその先端が右心室内に破裂する(図24)

榊原、今野11の洞瘤の発達説
図24 榊原、今野11の洞瘤の発達説

 この考えは同じ患者を長年観察した結果得られた結論でないため、多少の誤解がある。例えば洞瘤が成長する過程で、すべての例がARを伴うものでないことは、この発表の後、多くの症例で証明された。また洞瘤の成長とARの強さが常に関連あるわけでないことも次第に明らかになった。
 しかしこのバルサルバ洞と大動脈弁が同時に逸脱するという考えは、以後に述べる右心室側からの筋肉性の支持の欠如が、これら洞壁と弁とを同時に右室側へ逸脱させる原因であることを示したものとして、極めて意義のある報告であった。
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VSDになぜ大動脈弁が逸脱してARが起きるのか-2

 ハーバード大学医学部ボストン小児病院のVan PraaghとMcNamara54は、1968年、VSD+ARの発生メカニズムを主に解剖学的な観点から詳細に研究した。Van Praaghによれば、正常の大動脈弁は、(1)交連部の上からの支持、(2)3つの弁尖が拡張期に互いに同じ高さで接し合う弁尖同士の支持、(3)漏斗部筋肉による下からの支持、の3つの作用で閉鎖能を保っているというのである。
 彼らは本症を図25に示すように、室上稜下のVSD(I型)と肺動脈弁下のVSD(II型)に分け、さらにI型を漏斗部狭窄のないIa型と漏斗部狭窄のあるIb型に細分した。
図25 Van Praagh54のVSD+ARの分類
図25 Van Praagh54のVSD+ARの分類

 Ia型は、膜性部の比較的小さなVSDで、右冠状動脈尖と無冠状動脈尖の交連部直下にあって、両弁尖がVSDにprolpaseすることはほとんどない。この型のARは、二つの大動脈尖の交連の発育不全(大動脈二尖弁)が主な原因である。
 Ib型は、膜性部から漏斗部方向に張り出した大きなVSDであって、ファロー四徴のように漏斗部狭窄とともに大動脈の右心室側への偏位がある。VSDはやはり右冠状動脈尖と無冠状動脈尖の交連部の下にあるが、Ia型より右冠状動脈尖よりにある。この場合、大動脈弁の変化は、Ia型に比べれば右冠状動脈尖がprolapseしてARを起こすことはあるが、多くは右冠状動脈尖と無冠状動脈尖の間の交連の発育不全による大動脈弁二尖弁症が弁逆流の主な原因である。
 一方、肺動脈弁下のVSD (II型)では、大動脈弁の交連部の変化はなく、漏斗部中隔の欠損が右冠状動脈尖下にあるため、右室筋肉による弁輪部の下からの支持が失われて、弁の逸脱・突出が起こり、ARが生じるのである。この場合、右冠状動脈尖がprolapseすることによって右室流出路に圧格差が生じることがあるが、器質的な漏斗部狭窄はない。
 これをまとめると、室上稜下のVSDは膜性部に限局するもの(Ia型)と、漏斗部中隔に拡大して、大動脈弁が右室側に編位により漏斗部狭窄を生じたもの(Ib型)がある。これらのARの原因は、Ib型は一部II型と同じ右室筋の下からの支持の欠如によるが、多くは大動脈弁の交連部の発育異状による上からの支えの欠如である。一方肺動脈弁下VSDでは、右室漏斗部筋の欠損により、右冠状動脈尖の弁輪部の下からの支えの欠如で、右室側へ弁がprolapseするためにARが生じるというものである。
 Van Praaghのこの説明は極めて明快で、解剖学的な裏づけもあることから、多くの研究者から支持された。しかしこの説明は余りにも明快過ぎて、それに当てはまらない症例も少なくない。
 1958年にScottらが示した症例でもそうであったし、またPlauthら55の示した2例の膜性部VSD(図26)でも、交連に異常がなく無冠状動脈尖がprolapseしていることが示されていた。Plauthの論文では、この無冠状動脈弁のprolapseが大動脈造影でも示されていた。

図26 Plauthら55の剖検例
図26 Plauthら55の剖検例
NC:無冠状動脈尖、VSD:膜性部心室中隔欠損

 われわれの経験例では、大動脈弁二尖弁はVSDの部位に関係なく、例えば肺動脈弁下VSDに合併することもあった。Van Praaghが主張するように、室上稜下(膜性部)VSDのARの原因が、必ずしも大動脈弁交連の発育異常による上からの支持の欠如のみではないように思われる。
 こうしたことから、VSD+ARの原因はもう少し複雑であり、大動脈弁がVSDへprolapseして、弁機能が徐々に失われて逆流が生じる過程を含めて、さらに詳しく調べる必要があると考えられた。
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解説

Eisenmenger型VSD膜性部から漏斗部にかけて大きく開いた心室中隔欠損で、欠損を通して大動脈弁が右室側に張り出しているため、肺高血圧が進行すると容易に右心室の血液が大動脈へ流れて、チアノーゼを生じ易くなる。肺動脈弁に狭窄があるとFallot四徴と同じ血行動態になる。
大動脈(弁)の心室中隔への騎乗右室流出路の中隔側のうち、とくに壁束(心室漏斗部筋束ventriculo-infundibular fold)が大きく欠損すると、大動脈が弁を含みる心室側に大きく移動する。そして大動脈弁が心室中隔に跨った形で、左心室と右心室の中間に位置する。これを大動脈の心室中隔への騎乗(overriding of aorta)という。この大動脈の心室中隔への騎乗があるVSDで、肺高血圧を伴うものをEisenmenger複合という。
ベンチュリー現象、効果流体が狭い空間を通り抜けると側圧が下がり、周辺のものを流れに引き込む現象をいう。流れが速くなると側圧が低下することを物理学では、ベルヌーイの定理(法則)と呼んでいる。霧吹きなどはこの原理を応用したものである。
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文献

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7.VSD+ARの発生のメカニズム(続)

VSDになぜ大動脈弁が逸脱してARが起きるのか-3

 今野草二先生の「VSD」の一言で始まったこの研究は、やがて「何故VSDにARが生じるか」に焦点が移り、1971年、その最初の成果が医学雑誌56に掲載された。その論文では、解剖標本の所見から大動脈弁とVSDの関係、特に大動脈弁の支持が失われる可能性について詳しく論じた。
先天的な異常のない大動脈弁がVSDに引き込まれて、逆流が起きるためには、大動脈弁とVSDとが互いに接していることが前提になる。しかし両者が接しているというだけでARが生じるわけではない。ファロー四徴では全ての例で、大動脈弁がVSDの上に跨るように接しているが、大動脈弁がprolapseして逆流が生じることはない。
肺動脈弁下の漏斗部VSDの解剖標本をつぶさに調べると、右室漏斗部の筋層が部分的に欠損して、バルサルバ洞と右冠状動脈尖が右心室に露出している例が見つかる(図27)。この標本の断面図(図27-B)をみると、右冠状動脈弁とバルサルバ洞の下半分が、右室側から何の支持もされずに、VSDの上に釣り下がっている。こうした例でVSDを通って左室から右室へ血液が流れれば、大動脈弁はバルサルバ洞と一緒に、容易に右室側に逸脱するだろう。これはVan Praagh54が述べた円錐部筋による下からの支持の欠如であるが、同時に漏斗部筋肉による右心室側(横)からの支持の欠如ともいえる。

VSD+ARの発生のメカニズム
A 右室所見 B 断面図

図27 肺動脈弁下VSDの標本


 一方、膜性部VSDでは、標本の数は多いのに、大動脈弁の支持を失わせる形態的要因はなかなか見つからなかった。59例の膜性部VSDの標本の中で5例に、バルサルバ洞底の壁に半月状の洞壁欠損があり、弁と同じ薄い組織で覆われたものがあった(図28)。
こうした洞壁欠損のより大きなものがあれば、大動脈弁のprolapseの原因になる可能性があるかもしれない。

VSD+ARの発生のメカニズム

図28 膜性部欠損のバルサルバ洞底の洞壁に欠損が見られた症例

 膜性部VSDにはこのほかに大動脈二尖弁が2例認められた。大動脈弁二尖弁はそれ自体、Van Praaghのいう上から引き上げる支持力が弱く、ARを生じやすい。したがってVSDに大動脈二尖弁が生じると、しばしばARが起きる(図29)。

VSD+ARの発生のメカニズム
A.1例目の大動脈造影 B.2例目の解剖所見

図29 VSD+大動脈二尖弁によるARの2症例
Aの造影は軽度のARを示す。Bの解剖例はAとは別の
症例で、肺動脈弁下のVSD(ゾンデで示す)である。

 ただし、大動脈二尖弁はVSDの存在や位置と無関係に生じる。それゆえ、膜性部VSDにARが合併する原因をすべて大動脈二尖弁に帰するのは適当でない。また、膜性部VSDに伴った大動脈二尖弁も、必ずしも上からの支持の欠如だけでARが生じるわけではない。図30は、膜性部VSDに合併した大動脈二尖弁が、VSDにprolapse(図30の矢印)したためにARが生じた1例である。このように大動脈二尖弁であっても条件が揃えば、弁にprolapseが生じる。

VSD+ARの発生のメカニズム
A.大動脈造影側面
B.大動脈造影正面 C.手術所見
図30 膜性部VSDに大動脈二尖弁がprolapseしてARが生じた1例

 過去の欧米の報告13,19,55でも、膜性部VSDに正常の大動脈弁が落ち込んでARが生じた例が多く見られる。このことは、膜性部VSDにおいても肺動脈弁下VSDと同様、バルサルバ洞と大動脈弁輪、それに弁の下部が同時に右室漏斗部筋層による支持を失えば、大動脈弁がprolapseする可能性があることを示している。ただし膜性部VSDにおけるARの発生のメカニズムは、肺動脈弁下VSDのそれよりもう少し複雑のようである。
1971年に、アメリカ、ミネソタのJohn B. Carterら57は、解剖症例から大動脈弁がprolapseする原因には、表4のようなものがあるとした。
彼らが示した先天性大動脈二尖弁の症例は、交連が一本のひも状になって、かろうじて大動脈壁につながっていたのが、突然切れてARが生じたものがあった(図31-A)。われわれは肺動脈弁下VSDに弁尖がprolapseしたために、たまたまその上の交連部近くの弁遊離縁の穴がVSD下垂して、ARが生じた症例を経験した(図31-B)。このように弁自体の先天的な変形、特に弁交連や弁の遊離縁の異常でARが生じることもある。
Carterらはこの論文の中で、VSDに大動脈弁基部が逸脱した例を2例示し、そのメカニズムを次のように説明している。『室上稜上VSDによく見られるように、大動脈弁輪が心臓の繊維輪にしっかりと固定されていないと、大動脈基部が右心室へ偏位する。そのためひとつの弁尖の遊離縁の位置が低下して、他の二尖とぴったり合わなくなり、ARが生じるようになるのである』。
この考え方は、ファロー四徴症のように大動脈基部全体が右室側に偏位するのではなく、右室漏斗部の筋肉欠損による部分的偏位と読み替えれば、VSD+prolapsing ARの発生機序を的確に説明していることになる。
以上を総合すると、膜性部VSDにARの起こるメカニズムは、大動脈弁交連の先天異常を含むいくつかの因子がこれに関与する、より複合的なものと考えるべきである。

表4 Carterら57の大動脈弁prolapseの分類
A. 弁自体は破壊されていないもの
  1.本質的な脆弱性("Floppy" valve)
a.大動脈が大きく拡大したもの
b.大動脈が大きく拡大してないもの
2.弁表層だけが切れ動脈瘤様に下垂したもの
3.先天性二尖弁の交連様の過剰組織が途中で切れたもの
 
B. 弁が断裂したもの  
  1.単独のもの
a.自然に発生したもの
b.外傷によるもの
c.感染によるもの
2.大動脈の裂傷によるもの
 
C. 交連部の支持の喪失  
  1.大動脈の裂傷
a.大動脈解離がないもの
b.大動脈解離があるもの
2.不完全な二尖弁の交連部が捻切れた(Avulsion)したもの
 
D. 心室中隔欠損に伴う大動脈基部の右室側への移動

VSD+ARの発生のメカニズム
A B-1
VSD+ARの発生のメカニズム
図31 A.交連部の断裂例57 B.弁遊離縁
近くの穴からARの起きた自験例
B-2
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VSDになぜ大動脈弁が逸脱してARが起きるのか-4

 心研カテーテル室に移って私は、心臓血管造影検査を自分で行える立場になった。そこで多くのVSD+ARの症例について、さまざまな角度で大動脈や左室の造影を行った。小児科の高尾篤良教授は、外来でこうした患者さんを見つけると直ぐに入院させて、心臓カテーテル検査の指示を出してくれた。
造影検査では、大動脈弁がどのようにVSDに引き込まれ、バルサルバ洞とともに右室側に突出するか詳細に検討した。これには当時まだ解像度は悪かったが、心臓の動きがよくわかるシネ撮影が役に立った。カットフィルムの連続撮影(図32)に加えてシネ撮影を行うことで、心室の収縮、拡張に合わせてVSDを通る血流と大動脈弁、バルサルバ洞の動きを細かく観察することができた。

VSD+ARの発生のメカニズム
拡張期像 収縮期
図32 膜性部VSDに右冠状動脈弁、無冠状動脈弁がprolapseし
ARの生じた例の大動脈造影側面像

 その結果、大動脈弁の小さなprolapseは、主に収縮早期に大きくなり、拡張期には収縮早期ほど大きくないことが分かった。やや大きなprolapse例では、収縮期全体、特に収縮中期に最も大きな突出が見られた。この場合も拡張期の突出はやや小さくなった。こうした弁のprolapse部に収縮期、拡張期で動きのあるのは、主に小児期のARの軽い症例で、やや高年齢でARの強い症例では、prolapse部の可動性は少なく、収縮期、拡張期とも大きさがあまり変わらないことも明らかになった。
こうした内容をまとめて私は1972年秋、アメリカ循環器学会の総会で発表し、論文をCirculationに投稿した58。そこではVSDに大動脈弁がprolapseし、ARが生ずる様子を図(図33)で解説した。この図は本症の発生機序を分り易く説明したものであった。

VSD+ARの発生のメカニズム
図33 VSDに大動脈弁がprolpaseし、ARが生ずるメカニズム

 1973年、大動脈弁の動きに関する極めて興味深い論文が3編発表された。はじめの2編はMercerの論文59, 60で、ひとつはロンドンのセントバーソロミウ病院から、もうひとつはペシルバニアのピッツバーグ大学から報告された。残り1編はトロント小児病院のTruslerが発表した手術に関する論文61であった。
Mercerの最初の論文は、犬の大動脈弁の動きを高速度シネ造影で観察したものである。それによると、収縮期に大動脈弁が開くときは、弁尖が比較的まっすぐになって上外方に移動し、底部は角度が鋭くなって下方に下がる。それと同時にバルサルバ洞も外側に移動する(図34-A)。収縮期の終わりから拡張期になると、大動脈弁はゆっくりと大動脈の中心に戻り、弁底の角度もゆるやかになる。弁尖は放物線を描いてたわみ、遊離縁は隣り合う弁との間に対峙する縁帯(lunulae*)を形成するというものである(図34-B)。

VSD+ARの発生のメカニズム
A.弁が開くとき

B.弁が閉じるとき

図34 犬の大動脈弁の動き(Mercerの論文59より引用)

 これを図33のVSD+prolapsing ARの例に当てはめてみよう。VSDがない場合、収縮期に大動脈弁は、真っ直ぐ大動脈側に移動する。もし比較的小さなVSDがあって、弁輪部の右室側からの支えがない場合、左心室が収縮したとき、大動脈弁が開く前に、VSDを通って右室側に血液が流れる。これが大動脈弁輪部を右室側に引き込む力となる。
一方、大きめなVSDで、バルサルバ洞も大動脈弁輪部も大きく支えを失った場合は、左心室の等容収縮期*にバルサルバ洞腔に血液が溜まる。この洞腔内の血液の塊は、収縮中期の大動脈基部を流れる大量の血流の側圧によって、大動脈弁も洞壁も一緒に右室側に大きく押し出される。
収縮終期から拡張期にかけて大動脈弁にかかる圧力も、Mercerの弁の動態観察から推測することができる。弁尖は収縮期中期にまっすぐ立っていたものが、収縮終期には次第に放物線を描くように大動脈中心部に移動する。拡張期になると、弁は大動脈側から垂直な力をうけて、下方に押し付けられる。この場合、弁尖にかかる圧力は、3つの弁尖が同じ高さで対峙するlunulaeへの方向と、バルサルバ洞底を介して洞壁に拡散される二つの方向に分散されると考えられる。
大動脈弁がVSDにprolapseした場合、バルサルバ洞にかかる拡張期大動脈圧により弁輪部がわずかに右室側に移動し、大動脈弁尖はその分水平位に近づく。そのため放物線を描いて立つ正常の弁に比べ、拡張期の大動脈圧をより強く受けることになる。大動脈弁輪部の右室側への突出が大きければ大きいほど、弁尖は水平になり、弁尖にかかる拡張期大動脈圧が強くなる。そしてlunulaeが小さくなり、やがて隣り合う弁尖との対峙が失われ、ARが生じる。図33はこうしたメカニズムを示している。
Truslerらの論文61,62は、16例のVSD+ARの子供に大動脈弁形成術を行った結果を報告したものである。この論文のコメントには図35の左の図が示されており、大動脈弁のVSDへのprolapseのメカニズムについて、次のように書かれている。

VSD+ARの発生のメカニズム
図35 Truslerの説明図62(左)と我々の左室造影写真(右)

大動脈弁がVSDを通って左室から右室側に流れる血液に引き込まれるのは、ベルヌーイの定理に基づくものである。ベルヌーイ定理とは、高速で流れる流体の側圧は、ゆっくり流れる流体の側圧より小さくなるという法則である。この場合、収縮期に小さなVSDを左から右に速いスピードで流れる血流は、側圧が小さくなり、相対的に高くなったバルサルバ洞の内側の側圧によって、大動脈弁がVSD内に引き込まれるのである。この考え方は、われわれがシネ造影で観察した血流ならびに大動脈弁の変化(図35の右)と完全に一致している。
 

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解説

大動脈二尖弁:大動脈弁は普通3枚の半透明な半月形の弁尖からなる。3つの弁尖の隣り合う2弁尖が大動脈に付着する部分を交連という。この交連が発育しなかった場合、大動脈弁は完全な3つの弁尖に分れず、2つだけになることがある。このような弁のことを大動脈二尖弁という。不完全なものを含めると大動脈弁二尖弁の発生は比較的多く、成人期の非リウマチ性の大動脈弁閉鎖不全や狭窄のかなりの部分はこれによると考えられる。

等容収縮期:心室が収縮を開始するとき、心室内圧は上昇するがまだ心室内の血液は残ったまま、つまり心室容積が変わらない一瞬間がある。この容積は変わらないが内圧は上昇している時期を等容収縮期という。

lunulae:大動脈弁の3つの弁尖は左心室の拡張期に、互いに遊離縁を接しながら閉じて、逆流を防止する。この遊離縁は先端から弁腹に向かって数ミリの幅で接触している。この幅の部分をlunulaeという。lunulaeがあるため仮に一つの弁尖が少し下垂しても、直ぐには大動脈弁閉鎖不全は起こらない。
 

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文献

56.

龍野勝彦、今村栄三郎、今野草二、高尾篤良.心室中隔欠損に合併する大動脈弁閉鎖不全症の発生機序.心室中隔欠損症における欠損孔と大動脈弁との関係.心臓1971;3:741-748.

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Carter JB, Sethi S, Lee GB, Edwards JE. Prolapse of semilunar cusps as causes of arotic insufficiency. Circulation 1971;43:922-932.

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Tatsuno K, Konno S, Ando M, Sakakibara S. Pathogenetic mechanisms of prolpasing aortic valve and aortic regurgitation associated with ventricular septal defect. Anatomical, angiographic and surgical considerations. Circulation 1973;48: 1028-37

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Mercer JL. The movement of the dog’s aortic valve studied by high speed cineagiography. Brit J Radiol 1973;46:344-349.

60.

Mercer JL, Benedicty M, Bahnson HT. The geometry and construction of aortic leaflet. J Thorac Cariovasc Surg 1973;65:511-518.

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Trusler GA. Discussion on Treasure RL, Hopeman AR, Jahnke EJ, Green DC, Czarnecki SW. Ventricular septal defect with aortic insufficiency. An Thorac Surg 1971;12:411-414.


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8.VSD+ARの外科治療

VSD+ARの外科治療―欧米での推移

 アメリカ、カンサス大学のClaypoolら63は1957年、術前にARが診断されていなかった5歳の少女に対して、VSDを低体温法を用いて閉鎖した。少女は術中に死亡したが、解剖の結果、大動脈弁の無冠状動脈尖が膜性部VSD内に落込んで、閉鎖不全を起こしていたことが分かった。
 1958年DentonとPappas26は、VSD+ARの51歳の男性に対して右室流出路を凹ませて漏斗部に逢着するという方法でVSD閉鎖し、ARの治療に成功した。しかしこの患者は、13日後に行った心臓カテーテル検査がきっかけで細菌性心内膜炎になり、VSDが再開通し、ARも再発した。
 1960年、Garamellaら64とStarrら65は、別個に本症の手術に成功した。ミネアポリス、マウントサイナイ病院のGaramellaらは、人工心肺を用いて大動脈側からVSDを直接縫合で閉鎖した。そしてVSDに落込んでいた、右冠状動脈尖の延びた遊離縁を折り曲げて、小さな布で挟んで短くし、さらに隣り合う2つの弁交連部を縫合する手術を行い、成功した。
 一方ニューヨークのStarrらは、本症の2症例に手術を行った。一例目は右および無冠状動脈尖が逸脱するVSDであり、欠損を閉鎖したが大動脈弁逆流が改善せず死亡した。二例目は大動脈二尖弁に伴うARとVSDの患者であった。右室切開で室上稜上の直径7mmのVSDを直接縫合で閉鎖し、大動脈弁は緩んだ弁輪を弁交連に縫い縮め(図36)、患者は助かった。

大動脈形成法

図36 Starrら65の大動脈形成法


  Garamellaの症例とStarrらの第1例目は、VSDに大動脈弁がprolapseしてARが生じた例である。Starrらの2例目はVSDに大動脈二尖弁によるARが合併したものである。彼らが手術に成功したこと、そしてStarrらが大動脈弁形成の術式を図で示したことは、本症の手術治療を向上させる上で、大きな功績であるといえる。
 同じ1960年、アメリカ胸部心臓外科学会に発表されたKirklinらの論文に対して、メリーランド、バルチモアのBahnson66が次のようなコメントを述べた。「大動脈弁に逆流が起こるのは、弁尖の遊離縁が延びたことによるので、弁尖を折りたたむように縫い縮めれば下垂を治せる。その際どれくらいの距離を折りたたむかは、弁尖を中央で合わせれば弛んだ遊離縁の程度が分かる」。さらに1962年、SpencerとBahnsonら52は、3例の本症にこの術式を行い、2例に症状の改善を見たと報告した。その方法とは、VSDを直接縫合で閉鎖したあと、Garamellaが述べたような、テフロン布を枕にマットレス縫合で延びた大動脈弁遊離縁を短縮するものであった(図37)。Bahnsonらの新しさは、弛んだ遊離縁の程度を測り、折りたたむ距離を決めるために、弁尖を中央で合わせたことである。

弁形成法

図37 Spencer,Bahnsonら52の弁形成法

 さらにBahnsonらは、本症のARは大動脈弁の遊離縁が伸びて下垂したために生じたのであるから、単にVSDを閉鎖しただけでは、弁の逆流を治すことができないと述べた。 これに対して同じ1962年、ニューヨークのRobinsonら53は、VSDをパッチで閉鎖するだけでもARを治すことができると報告した。彼らは、肺動脈弁下VSDに突出した大動脈弁を左室側に押し込んで、アイバロンスポンジを用いて欠損を閉鎖したところ、術後ARが著明に改善された1例を示した。この経験から彼らは、本症はまずVSDをパッチで閉鎖し、それでARが治らなければ、大動脈弁の吊り上げを行うべきであると結論した。
 メイヨークリニックのEllisら30は1963年、本症19例に対して、18例は大動脈弁に直接手術を行い、1例はVSD閉鎖術のみを行った。弁に対しては、13例にパッチを充てて弁尖の高さを矯正したり、遊離縁を短縮したりした。また5例には痛んだ弁尖をテフロン弁尖で置換した。その結果、VSD閉鎖のみを行った例では術後にARが残存し、弁の修復を行った13例においても12例に術後ARが残った。しかしテフロン弁尖で置換した5例は、1例に軽度の逆流を見ただけで、他の4例では逆流を認めなかった。この結果から彼らは、本症はVSD閉鎖のみではARが治らない、弁の修復術も組織の断裂などでARが再発しやすいとした。そして彼らは、①VSDは右室切開による直接閉鎖、②漏斗部狭窄があればそれを切除、③落込んだ大動脈弁の一尖のみをテフロン弁尖で置換する、という治療方針を立てた。
 同じ1963年Blumenthalら67は、本症は進行性の疾患であるから弁が傷まぬうちに早めに手術を行い、弁に対しては修復術を行うべきだと述べた。またフランスのDubostら68は本症4例中に3例逸脱した大動脈弁の吊り上げ術を行ったが、成功したのは1例のみであった。この結果から本症のARは人工弁置換にすべきであると述べた。

 1965年、メリーランド州ベセスダにある国立心臓研究所のPlauthら69は、6例の本症手術で、1例を麻酔で失ったものの、2例はVSD閉鎖のみ、3例にVSD閉鎖と大動脈弁の修復を行ったと報告した。VSDは右室切開を行い、直接縫合で閉鎖した。大動脈弁は3弁尖の中央にあるアランチウス体に糸をかけて引っ張り、延長した遊離縁を他の正常な弁尖の遊離縁の長さに合わせて、綴れ織りのように折りたたみ、大動脈の外で糸を結んで、短縮させた(図38)。アランチウス体に糸をかけて長さを調整することは、すでに行われていたが、大動脈の外側で弁を吊り上げた糸を結ぶことは、それまでに無い新しい試みであった。

弁修復法弁修復法
図38 Plauthら70の弁修復法

 結果はVSD閉鎖のみの2例では、1例が5年後の大動脈造影でARが全くなく、他の1例はわずかに逆流を認めた。一方、大動脈弁を修復した3例では、1例が2ヵ月後にごくわずか(1/6)残っていたARが、その後進行はなかったものの、他の2例はいずれもしばらくしてARの再発と左右短絡を認めるようになった。以上からPlauthらは本症の治療方針を、①成人VSD+ARはVSD閉鎖と大動脈弁置換、②若年者でARの軽いものはVSD閉鎖のみ、③若年者でARの強いものはとりあえず大動脈弁の修復術を行うが、逆流が再発すれば二次的手術を行う方針を立てた。
 1967年Frater70は大動脈弁の逸脱に対する新しい術式の提案をした。彼らはPlauthらと同様、3つの弁尖の遊離縁中央にあるアランチウス体をまとめて縛り、逸脱によりたるんだ弁尖の遊離縁を交連部近くで折りたたむようにマットレス縫合糸をかけ、それを大動脈の外側に出して小さな布を置いて結紮する方法であった(図39)。

大動脈弁修復術
図39 Frater70の大動脈弁修復術

 1969年、ニュージーランドのGonzalez-LavinとBarratt-Boyes71は本症7例に対して、大動脈側からVSDを落込んだ右冠動脈尖そのものを逢着して閉鎖し、さらに大動脈弁全体を人の保存大動脈弁によって置換するという新しい手術法を発表した。結果は7例すべて生存し、5例はARがなくなり、1例は軽度、残りの1例は中等度の逆流が残った。彼らは初めEllisらのように、変形した大動脈弁の1弁尖のみの置換を行っていたが、結果が悪いため大動脈弁全体を置換するようになったと述べた。
 同じ年、ロンドンの王立医学大学院のHallidie-Smithら39は、本症27例の手術経験から、ARが軽症ならVSD閉鎖のみ、中等症ならVSD閉鎖に大動脈弁形成、そしてARが重症であればVSD閉鎖と大動脈弁置換という方針を打ち出した。
 1970年、ロンドン大学国立心臓病院のSommervilleら72の報告では、20例の本症に手術を行い、18例の生存者があった。VSDは大動脈側から閉鎖し、大動脈弁置換の場合は右冠動脈尖および無冠動脈弁の一部を残し、閉鎖したVSDの上に縫合して補強した。大部分の例で大動脈弁の変形が1尖に止まらなかったので、13人は「ひと」の保存大動脈弁、1人はStarr-Edwards弁を用いて弁置換した。ただし9~19歳の6人には自分の弁を保存するため、弁の修復術を行った。弁修復術としては1人に心膜の一部を使って縮んだ弁尖を延長したが結果が悪く、結局「ひと」の保存大動脈弁で置換した。2人は大腿筋膜を小さく採取して縮んだ弁尖に逢着し、高さを元に戻した。そして残りの3人は落ち込んだ弁の吊り上げ、遊離縁を短縮した。その結果、大動脈弁の逆流はひとの大動脈弁を用いた3人、弁の修復をした4人、人工弁置換した1人で比較的軽いARを認めたが、いずれも社会復帰した。
 こうした結果からSommervilleらは本症の外科治療は、幼年者で大動脈弁の変化が軽いものは弁の修復にとどめるが、その他の場合はひとの保存大動脈弁を用いて置換すべきであるとした。

VSD+ARの外科治療―わが国での推移

 わが国でも本症の治療は古くから注目されていた。1958年岡山大学の砂田ら73の報告によると、1955年12月に彼らは、VSD+ARあるいはバルサルバ洞動脈瘤破裂と診断された15歳の男子に、心臓手術を行うため選択的脳冷却法を開始した。しかし開胸して心臓・血管を剥離しているとき突然心室細動となり、患者は蘇生できず死亡した。心臓を開いてみると大動脈弁直下の高位VSDであり、バルサルバ洞動脈瘤破裂はなく、大動脈弁に逆流があることが判明した。
 1960年代に入るとVSDの手術成績が安定し、それに伴いVSD+ARの外科治療に注目が集った。1967年東京大学の水野ら74は、11例の本症に対する手術経験を発表した。そのうちの2例はVSD閉鎖とともに大動脈弁修復を行い、1例はStarr-Edwards弁で弁置換をした。人工弁置換をした例は死亡したが、修復術の2例とVSDの閉鎖のみを行った3例は生存した。VSD閉鎖のみの1例ではARが消失し、残る4例もARは残ったが、症状が改善した。この結果から水野は、ARの程度が軽ければ、できるだけVSD閉鎖のみを行うべきであると述べた。同じ年、富永75,76もVSD閉鎖だけでARが消失した例を経験したことから、本症は早期にVSD閉鎖のみを行うのがよいとした。
 これに対して樫野ら77は、23例の本症の手術経験から、中等度以上のARがあるものは全て人工弁置換の適応があると述べた。阿部78、田口79も同じ考えであり、江口80、堀口81も人工弁置換による成功例を報告した。1969年に入ると論争はエスカレートし、大阪医科大学の武内ら82が6例のVSD+ARの手術経験から、本症のARの治療はVSD閉鎖だけでなく、弁の状態を見た上で、必要があれば人工弁置換を行うべきであると述べた。武内グループの佐々木ら83は、ARが軽症であればVSD閉鎖のみで治せるが、中等度以上であれば積極的に人工弁置換を行うとの見解を示した。団野84や川島85も弁形成には限界があるため、「ひと」の保存大動脈弁を使って弁置換を行い、よい成績を収めていると追加発言した。さらに札幌医科大学の池田86も、中等度以上のARがあれば人工弁置換を行うという考えを示した。
 このように1960年代後半のわが国における本症に対する外科治療の方針は、軽症例ではVSD閉鎖、中等症以上では人工弁置換というものであった。
 これに対して1969年、天理よろず相談所病院の龍田ら87は、VSD+ARの大動脈弁は変形が比較的軽度であり、弁に可動性が残っているものが多く、若年者が多いことから、できるだけ弁を保存的に修復すべきであると主張した。龍田らは本症9例中2例にVSD閉鎖のみ、ほかの7例にはさらにSpencer, Bahnsonら52の報告した大動脈弁の形成術を行った。結果はVSD閉鎖のみの例では2例ともARが悪化したのに対して、弁形成の7例では、1例にARが再発したものの、他の6例では著名な改善が得られた。ただし、弁形成術は自己弁を温存するという理想的な治療であるが、やや安定性に欠け、多少ARが残るという欠点は免れない。この不安定性を解決するために、特に肺動脈弁下VSDでは、弁の支持組織が弱いのでそれを補強するため、欠損は直接縫合あるいはそれに近い方法で閉鎖する必要があると述べた。
 龍田ら88はさらに、本症の治療の原則は早期発見、早期治療であるという原則に立って、手術方法としてはVSD閉鎖と大動脈弁形成が第一選択であると強調した。ただしこの方法は大動脈弁の遊離縁が延長、下垂したものだけに適用し、弁が癒合、短縮、石灰沈着した場合は、適応外であるとした。
 麻田ら89も1968年、VSD閉鎖と大動脈弁人工弁置換を行い死亡した一例を経験し、その後、本症に対して大動脈弁の形成術を試みるようになった。その結果、症状が改善された例があり、この術式が優れた方法であると述べた90,91
 1971年、日本胸部外科学会の総会で、VSD+ARの外科治療に関するセミナーが開催された。そこでもFrater法の変法が発表され、多くの施設が弁形成をこの疾患の第一選択の外科治療に上げた。
 このセミナーでまず口火を切ったのは東京女子医大の今野草二92であった。今野はFraterと同じ術式を示しながら(図40)、弁の形態と心機能を把握した上で、一つの治療法に固執せず、臨機応変に術式を選択する必要があると述べた。

今野の描いた術式
図40 今野92の描いた術式

 またわが国で最も早くから、本症の治療に弁吊り上げ術を取り入れた天理病院の龍田憲和、三木成仁ら92は、術式をSpencer,Bahnson法52からFrater法70の変法(図41)にしてから、成績が良くなったと報告した。

ARが生ずるメカニズムARが生ずるメカニズムARが生ずるメカニズム
図33 VSDに大動脈弁がprolpaseし、ARが生ずるメカニズム

 このときほとんどの施設が、比較的若年者でARが軽いprolpae例ではVSD閉鎖を行い、それでARの治らない例に対しては、Fraterの変法による大動脈弁形成術を積極的に行う方針であることが確認された。ただし弁形成でもARが治らないと判断される場合は、積極的に人工弁置換を行うという報告も依然として少なくなかった。特に、肺動脈弁下の漏斗部VSDに比べて膜性部を中心とするVSDでは、Van Praagh54が報告したように、大動脈弁2尖弁など弁自体の変形によるARのこともあるので、弁置換にならざるを得ないことが指摘された。

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解説

低体温法:人工心肺が発達する前は、心臓の動きを止めて心内の異常を治すために、頭あるいは体全体を冷やす低体温法が盛んに行われた。体温を25度以下に冷やせば、20分程度血液が行かなくとも、脳の機能が冒されることは無いと考え、心臓の動きを止めてその間に心内の病気を治していた。この考え方は人工心肺が発達してからも、人工心肺の機能の一部として現在も使われている。

弁交連部:隣合う弁尖が互いに接して血管壁に付着する部分を交連という。

大動脈二尖弁:弁の交連が不完全にできたために、三尖あるはずの大動脈弁が二尖になったもの。完全に二尖弁のものと、不完全な交連が残っているものとがある。

マットレス縫合:小さな2枚の布で組織を挟んで、糸で縫合する方法。

アイバロンスポンジ:アイバロン(ポリビニールアルコールPVA)という合成樹脂で作成したスポンジ状の医療材料。主に心臓外科の初期の頃、アメリカで心室中隔欠損などを塞ぐために使われた。

アランチウス体:大動脈弁弁尖の遊離縁の中央はやや盛り上がって少し厚くなっている。この部分をアランチウス体と呼んでいる。アランチウス体は3つの弁尖が拡張期に大動脈の中央で接し、互いに寄りかかり合う部分である。

1/6:心臓の雑音の強さを1度から6度までに分けるLevineの分類がある。その強さを1/6~6/6と表記し、1/6はもっとも弱い雑音を表す。

「ひと」の保存大動脈弁:亡くなった人の大動脈を弁がついたまま取り出し、フォルマリンやβプロピオラクトン、グルタールアルデヒドなどの組織固定液に漬けて保存したもの。

Starr-Edwards弁:プラスティックのボールが金属製の枠の中に入っている初期の人工弁。

大腿筋膜:大腿部の筋肉の表面を覆っている筋膜は、柔かで丈夫なため、その一部を取って欠損した大動脈弁に縫い付けた。

 

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文献

63. Claypool JG, Ruth W, Lin TK. Ventricular septal defect with aortic insufficiency simulating patent ductus artriosus. Am Heart J 1957;54:788-792.
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9.VSD+ARの外科治療

VSD+ARの外科治療―大動脈形成術の完成

ワシントンDCのTreasure ら93は1971年、本症15例の手術成績を報告した。彼らは本症を、バルサルバ洞動脈瘤が破裂した漏斗部VSD (グループ1)と、重症でないAR伴うVSD(グループ2)、そして重症なARを伴うVSD(グループ3)に分けて、それぞれ手術成績を比べた。
グループ2の9例は、すべて小ないし中等大の膜性部VSDで、右冠状動脈尖あるいは無冠状動脈尖がprolapseしていた。これらはすべてVSDを縫い合わせて閉鎖しただけであったが、術後ARが悪化した例はなく、そのうちの3例はARが消失した。
グループ3の4例もやはりすべて膜性部VSDであったが、そのうちの2例はVSD閉鎖したのみで、残りの2例はFrater70が報告した弁の吊り上げ術を併せて行った。VSD閉鎖のみの2例のうち1例は術後もARが残り、徐々に強くなった。残りの1例はARが著明に改善したが、数ヶ月しか経過観察していない。吊り上げ術を行った1例はARが改善し、もう1例も有意なARは残ったが、全く症状はなく弁置換の必要はなかった。
こうした結果からTreasureらは、本症の外科治療について、重症でないARを持つVSDではVSD閉鎖だけを行い、重症のARを持つVSDではVSD閉鎖と大動脈弁の形成術を行うべきであると結論した。
この発表に対して、トロント小児病院のTrusler62は、図42-Aに示した大動脈弁の吊り上げ術を提案した。Truslerら61は1973年、12歳以下の16例の自験例を報告した論文で、図42-Bの修復法を示した。Truslerの吊り上げ方法は、3つのアランチウス体を糸で引っ張り、余った弁遊離縁を折りたたんで、パッチ片付きの糸をかけて大動脈の外側で結紮することは従来と同じであった。ただしパッチ付き糸を水平方向から垂直方向に変え、隣り合う弁尖との交連部に、小パッチをフードのように載せて補強した。

吊り上げ術
図42 Trusler612,62の吊り上げ術

パッチ片が水平であると、糸が弁尖の弾性線維と同じ方向にかかるため、術後に弁尖が断裂する危険性がある。パッチ片を垂直にすれば、パッチが弾性線維を跨いであたるため、断裂の危険が少なくなる。実に細かい配慮だが、その効果は極めて大きかった。
Truslerが報告した16例中10例は膜性部VSDで、1例に無冠状動脈尖のprolapseがあったが、残りはすべて右冠状動脈弁のprolapseであった。手術結果は1例に弁の修復部が脱落して、再手術後も軽度のAR雑音が聞こえたが、ほかはすべて良好であった。肺動脈弁下のVSDは3例であり、2例は右冠状動脈のprolapseであり、1例は左冠状動脈の交連部の異常であった。これらは修復術により軽快した。しかし大動脈二尖弁など大動脈弁の交連部の異常によりARが生じた3例では、修復術によって1例でARが改善したのみで、残りの2例は改善が見られなかった。Truslerの提案によって、VSD+prolapsing ARの手術成績は飛躍的に向上した。そしてTrusler法は、その後、本症の大動脈弁形成の標準術式として、広く用いられるようになった。

VSD+ARの外科治療―その後

1972年デンマークのAndersenとLomholt94は、5例の小児VSD+ARにVSDを閉鎖して、大動脈弁の自由縁を短縮する手術を行った。1例が手術で死亡したが、他の4例は生存した。生存例で術前より状態が改善したのは1例だけで、残りの3例は余り変わりがなかったことからAndersenらは、本症では、弁形成よりも弁置換の方が良い結果が得られるのではないかと述べた。
同年、テキサスのGlasserら95は本症例20例に手術を行い、14例にはVSD閉鎖のみ、6例には同時に大動脈弁の弁輪形成を行った。その結果、重症ARの1例で術後逆流が改善しなかったほかは、弁輪形成した残りの5例、ならびにVSD閉鎖のみの14例はいずれも術前よりARが軽快した。本症は大動脈弁のprolapseとARが進行性であることから、彼らはできるだけ早期にVSD閉鎖のみを行うか、VSD閉鎖に大動脈弁輪形成を行うのがよいと結論した。
同年モントリオールのMurphyとPoirier96は、極めてユニークな大動脈弁形成法を発表した(図43)。この方法は交連部の大動脈を開くのでやや複雑ではあるが、膜性部VSDに右冠動脈尖と無冠動脈尖が同時にprolapseした場合などには有効と思われる。

大動脈弁形成術

図43 Murphyら96の大動脈弁形成術

1980年代に入ると、さらに大動脈弁および交連部の修復手術の新しい提案が続いた。1983年、フランス、パリのCarpentier97は、弛んだ大動脈弁尖の中央を三角形に切って伸びた弁尖を元に戻す "French correction"*の術式を提案した(図44)。

triangular resection 法
図44 Carpentier97の triangular resection 法

1987年久留米医科大学のHisatomiら98は、大動脈交連部のつり上げと、大動脈壁のplicationとappositioningという極めて精緻な手術を紹介した(図45)。

plication and apposition stitch法
図45 plication and apposition stitch法98

さらに1992年にBonheoffer99、そして1997にはYacoub100が大動脈のバルサルバ洞壁を上下に縫い縮めて、垂れ下がった弁尖を引き上げるlift up法を報告した(図46,47)。

lift up method
図46 Bonheoffer99の lift up method

lift up method
図47 Yacoub100の lift up method

Marphy以後の術式はその後、追加の報告が見つからない。結局現在でも、VSDに大動脈弁がprolapseして逆流がある例では、Truslerの形成術が広く用いられていて、それを超える術式はまだないと思われる。

むすび

以上VSD+ARの手術法について述べてきた。最近わが国では、弁置換が必要になるような、高度なARの症例がほとんど見られなくなった。それは心エコー検査が外来で手軽に行えるようになったことと関係があるように思われる。外来エコー検査の普及により、今ではVSDの症例にARが起こるずっと前から、大動脈弁の状態を簡単に観察できるようになった。ほとんどの小児循環器科医は、本症の発症メカニズムについて熟知しており、比較的小さなVSD、特に肺動脈弁下VSDでは大動脈弁がprolapseすることに常に注意を払って、経過を観察している。
さらに小児無輸血開心術の普及などにより、幼児期でも比較的安全にVSDを閉鎖できるようになった。その結果、弁にprolapse がある患者では、ARが起こる前にVSDを閉鎖することが当たり前になった。こうしたことから現在では、中等度以上のARを持ったVSD患者を診ることが稀になったと考えられる。
今日、VSD+ARの問題は、すべて解決したかのように思われている。しかし依然残された問題もある。欧米型といわれる膜性部周辺のVSDに生じるARでは、大動脈弁のprolapse以外に、弁や交連部の先天異常、その他の原因不明の要因によって起こることが少なくない。わが国では比較的少ないこの形のVSD+ARについては、今後ともその発生メカニズムについて研究が継続されねばならない。 (完)

解説

French correction:フランス流の独創的な弁膜の外科治療法を、映画"French connection"にかけて、Carpentierが"French correction" と呼んだもの。

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文献

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